人は目覚めている間もずっと夢を見ていて、その夢から逃れることは出来ず、目覚めることはない。
即ち、人は夢の中で傷付けば現実に傷つき、夢の中で失敗すれば現実に失敗し、夢の中で死ねば現実に死ぬのである。
夢の中にしか生きえない人にとって「夢でしかあり得ないもの」が「現実でしかあり得ないもの」になる。
つまり、現象は現実とは異なるが、現象と現実は連関している。
似たことが繰り返されることが「関係」と言われる。
記憶が反復を支えている。
iPhoneのカメラアプリを立ち上げると、液晶に風景が映し出される、という「現象」が生じる。
この現象は、人の認識として現れる「現象」と同一ではないが、共通する要素も持っている。
われわれは現実を見ているのではなく、現実が存在する「証拠」を見ている。
現実は決して直接見ることは出来ず、人は「間接的な証拠」だけを見て「現実の存在」を確信している。
反復の記憶が現実の存在の証拠となる。
移動が反復を生み出す。
もし、網膜に映る像が固定されてしまったならば、目は見えていても何も見えていないのと同じことになる。
人間は他人を見て、自分が存在する証拠を掴む。
自分の存在は他人が存在することの証拠となる。
構造とは反復であり、反復のないものに構造はない。
オリジナリティの高いものは内在する反復を持っている。
自分の絵を見ながら描く、自分の音楽を聞きながら演奏する、ということには反復が含まれ、見ないで描き、聞かないで演奏することの内に反復はない。
反復は生命の本質あである。
反復が終わると生命も終わる。
内在的反復と、外在的反復とがある。
人は「現実」を直接見ることは出来ず、人はそのように見えない「現実」が存在する証拠を集めながら、その証拠の隠蔽工作を図る。
「現実から目を背けている」といわれている人は、実のところ「現実が存在する証拠」の隠蔽工作を図っている。
人は現実が存在する証拠を見つけてはそれを隠す。