アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

「科学は呪術の延長にある」とだいぶ以前に言ったら科学系の人から「そんなことはない」と言われたのですが、科学はいかに理性的で精緻な思考を積み上げようとも、その「動機」において呪術的で野蛮なものを抱えているのです。そもそも「便利」に向かうこと自体が呪術的で野蛮な欲望で、非理性的なのです。

あらゆる機械は「暴力」の変形です。暴力をいかに平和利用しようとも、暴力である事に変わりはありません。平和は暴力の上に成立します。我々の平和は、日々たくさんの動物を殺す暴力の上に成立しています。平和な世界で暴力は隠されますが、暴力を隠すことが暴力です。

大量生産は大量殺戮と表裏一体です。ハンバーグの大量生産は、豚や牛の大量殺戮を意味します。人間の大量殺戮も同じです。人間は本質的に野蛮な野生動物です。文明人の本質は「機関銃を持ったサル」です。

利口な人間は次々に死んで、バカな人間が次々に生まれます。人間は何も知らないバカな状態で生まれ、知恵をつけて利口になれたと思った頃に死んでしまいます。人間の知性は「寿命」によって制限されています。

人間と人間以外の動物の違いとは何でしょう?犬や猫、サルやカラスなどのいわゆる高等動物は人間のような感情や知性を備え、明確な違いは無いようにも思えます。しかしどこかで「線」を引かなければ、人間は生き残ることが出来ません。人種や民族や国家による「線」を引くのも根本は同じです。

人は生きるためあらゆる箇所に線を引きます。人が線を引くのは生きるためです。人は自分と他人の間に線を引き、家族とそれ以外との間に、自国と他国の間に、自民族と他民族の間に、異なる宗教や主義との間に線を引きます。犬や猫と、豚や牛や鶏の間に線を引きます。人が線を引かなければ線は存在しません。

人が線を引かなければ線は存在しないし、人が名前を付けなければ名前は存在しません。『老子』の最初の教えの一つです。


Cute Armadillo Taking A Bath! - YouTube

まるで人間のような仕草と表情のアルマジロを見て思ったのですが、もしかすると「人間」は存在しないのかも知れません。動物が、自分が人間だと思っているだけなのかも知れません。