アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

創造と認識

あらためて気づいたのですが、自分が間違っていたのは「ものを作ろうとしてた」事です。作品だけではなく理論についてもそうです。「ものを作る」とはゴミを作ることでしかありません。真に創造的なのは認識しようとする事です。自分はものを作りながら多少は認識しようとしており、それだけが救いです。しかしあくまで不十分でした。

ものを作ろうとする事の何が間違っているのでしょう?それは動機が「欲」に基づいている点です。『老子』によれば欲が求めるのは「結果」です。欲に駆られた人は結果に目を奪われ、微妙なものを見落とします。見落としの結果に生じたものは、一時的注目は集めても、やがて人々から顧みられなくなります

欲に駆られ、結果に目を奪われる人は、何を見落とすのでしょうか?あなたが私を見なければ、私もあなたを見ることはありません。その意味での見落としです。

人はものを作るのではありません。ものを作っているつもりで、その人の認識を示しているのです。人が作ったものは、その人の認識そのものです。例えば美術家の作品はものではなく、その人の美術に対する認識なのです。