アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

常識とクラウド

デカルトは『方法序説』で「判断に迷ったら常識に従えば良い」と書いてます。つまり自ら認識し判断してるつもりで、その実常識に従っている人は、認識を停止し、判断を停止してるのです。常識とはクラウドコンピュータのようなもので、これを使う人のパソコンは中身が空っぽなのです。

常識とはクラウドコンピュータのようなものです。雲のように漂う常識に、皆がアクセスします。常識に従う限り、パーソナルでは何も判断せず、何も認識せず、何も感じることはありません。例えば「常識的に考えてそれは無理」などと思う場合、それは自分の判断ではなくクラウドに接続しているのです。

デカルトによると、常識とは仮設住宅に過ぎません。しかし大多数の人々は、仮設住宅に一生住み続け、我が家は立派であり、他の家とは違った個性がある、と信じ続けるのです。仮設住宅を引き払い、真に自分の家を建築する人は稀なのです。

常識とは自分を閉じ込める牢獄であり、その門番もまた自分です。恐ろしいことです。あるいは、長年牢獄に閉じ込められたまま牢名主となり「ここのことは俺が全部知っている」という自負心を持つのです。哀しいことです。

●平常時に優秀な手腕を発揮する経営者は大勢いても、混乱時にはっきりとした実績を残している人は滅多にいない、というのが経営の常です。(柴山政行)これは何を意味してるのか⁈

戦争をなくす方法は簡単です。読書をすればいいのです。ろくに本も読まずに「戦争反対!」を叫ぶ人たちがいるから、戦争はなくなることが無いのです。

芸術家の定義は不変ではありません。つまり、変化を読み続ける目がなければ芸術家たり得ないのです。

芸術家の定義は不変ではありませんが、芸術家とは常に総合的な人格であり、総合の内容が時代によって変化するのです。

文明の本質は奴隷制です。現代社会は合法的奴隷制であり、ソフト奴隷制です。文明社会とは人体構造の外部化で、人体とは階級文化した奴隷制で、極めて保守的で、変革の余地が全く無いのです。