アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

ルールと喧嘩

●批判の言葉をグッと思いとどまって、相手を観察することが重要です。相手が自分を絶対に理解しようとしないからこそ、自分は相手を理解する必要があるのです。批判ではなく、相手の心を引き出す言葉を投げかけることです。

なぜ戦争が起きるのか?は、なぜ議論にならずに喧嘩になるのか?を考えるとわかる気がします。お互いの議論を成り立たせるのは「ルール」で、ルールを知らない人は喧嘩を仕掛けます。それは「争いのルール」を本能として持たないハトが、時として際限なく相手を攻撃し死に至らめるのにも似ています。

逆に「争いのルール」を本能として持つオオカミは仲間同士で殺し合うことがありません。オオカミの争いは「負けのルール」が設定されてます。議論のルールも同じで、負けのルールの設定で、むしろ議論に負けて自分自身を改める覚悟が議論を支えます。そのルールを持たない人とは議論ではなく喧嘩になります

自分の「正しさ」を主張したい人が仕掛けるのは議論ではなく喧嘩です。そこには「負けのルール」が設定されていないのです。もちろん議論には他に様々なルールが存在しますが、ルール無視で向かってくる人の攻撃は、真に受けることなく避けなければなりません。でなければ戦争になります。

もちろん、理不尽な争いを受け入れて、相手を打ち負かす覚悟で立ち向かわなければならない、と言う状況も考えられるでしょう。しかし、できるだけそれを避ける技術を身に付けなければならないし、そうでなければ反戦は語れないと私自身は思います。

人間はオオカミのように本能的な「負けのルール」を持たず、その意味ではハトに似ています。「負けのルール」を持たない人間は、機関銃を持ったハトなのです。一方でオオカミは、自分の牙以上の武器を欲しないのです。人間の臆病と裏腹の残忍さは、進歩の源と言えるかも知れません。

●哲学がなぜ必要か?と言えば、この世が嘘と欺瞞に満ちあふれているからです。だから哲学は難しいのですが、一方で嘘は必ずバレるものです。ですので哲学もそう難しくはないのです。