アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

外国語と哲学

フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』読み始めましたが、かなり難しいです。けっきょく哲学を学ぶとは外国語を学ぶのと同じことで、ともかく日本語と哲学する言葉とは異なり、日本語では哲学は出来ず、日本語しか出来ない人に哲学は出来ないのです。

哲学を学ぶには、例え日本語訳の哲学書を読もうとも、「日本語」を捨て去って、外国語を学ぶつもりで哲学=哲学の言葉を学ばなければなりません。

日本語では戦争が出来ず、故に「戦争語」が存在するように、日本語では哲学は出来ず、それが哲学の意味でもあるのです。日本語で書かれた哲学書は入門書でしかなく、入門書ではない哲学書は日本語に翻訳されてはいても、そこに書かれているのは日本語ではないのです。

日本語で哲学することは出来ず、だから芸術家は哲学を学ぶ必要があるのです。日本語のみによって生じた芸術は、それだけのものでしかありません。