アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

偶然と呪術

●優れた他人が存在するから、自分は劣ったままでいいのです。他人が劣ったままでいるから、優れた自分にならなければいけないのです。

優れた他人を注意深く観察してこれを認め、劣った自分を注意深く観察し、劣ったままの自分でありつづけることが実に重要です。「良くしよう」という向上心はあらゆるものを覆い隠します。

劣った自分が、劣った自分のままで、優れた他人を「祝福」することです。それは、自分が劣っているからこそ可能な贈与物です。

●私自身がそうなのですが、人々は「偶然性」に強い反応を示す傾向にあります。つまり「神無き時代」において偶然性が「神」の代替物となり、「芸術が分からない」人々にとって偶然性が「芸術」の代替物になるのです。故に偶然性に依拠した表現が「芸術性が高く神掛かっている」と賞賛されるのです。

偶然性に過剰な価値を見出すセンスは「呪術」です。偶然性に依拠した表現は呪術性が高いのです。それは人々の原始的衝動に訴えるが故に分かりやすく、熱狂の対象となるのです。

優れた芸術は偶然性の産物ではなく、それは哲学が偶然性の産物ではないのと同じです。偶然性の高さと芸術性の高さと見做すのは錯誤でしかありません。