アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

意志と気象

人間の感情や意志の動きは、地球の大気の動きと同じようなもので、自転による日照の差や、地形のあり方などによって生じるものです。「自分」とは、気象観測装置のようなものです。「プライドが傷ついた」「屈辱を受けた」などと「自分」が思うのは、その地点に設置されたセンサーが作動してるのです。

北風が吹けば絶望し、南風が吹けば自信がみなぎり、西風が吹けば不安になり、東風が吹けば屈辱を受ける・・・と言う具合に、人間の感情や意志の動きは気象のようなもので「自分」とは気象の観測点に過ぎません。気象の観測点が、その地点の気象の変化を「自分」と見做しているのです。

気象の観測点に設置された観測装置は、物理的な装置である以上、激しい気象によってストレスを受けます。人間が激しい感情によってストレスを受けるのも、同じメカニズムです。ストレスを受けるのは観測装置ですが、気象や感情そのものは観測装置の外部に存在します。

自分の感情や意志の動きは、他人の感情や意志の影響を受けます。すぐ近くから影響を受ける場合もあるし、地域や時代を超えて影響を受ける場合もあります。つまり自分の感情や意志や思考は「自分」として完結せずあらゆる他者やあらゆる事物事象を含む全てが連動しており「自分」とはその観測点なのです。

自分の愚かさは他人の愚かさと連動し、自分の賢さは他人の賢さに連動しています。

回る風車を見て「風車が回っている」と思うのは間違いです。風車は風によって回されているのです。人間の感情や意志や思考とはそのようなもので「自分」とは風車なのです。

悟りとは、自分が気象の観測点に過ぎないことを悟ることです。

自分が死ぬとは風車が倒れるようなものです。風車が倒れても風は吹き続けます。