アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

先験的と前世

●中断してたフッサールをまた読み始めましたが、これまで分からなかった「先験的」の意味が分かって来たような気がしてます。

確かに私には、例えば「芸術」について、何か経験する前にあらかじめ知っている(つもりの)事柄があるのです。
このような、自分にとっての先験的事柄は、あまりに自明過ぎて対象化し認識するのは非常に困難です。
この「困難さ」そのものが、フッサールの説く「先験的」の、一つの意味ではないでしょうか?

フッサールが言う「先験的」とは、思い切って言えば「前世」の事です。人は自分が体験した事それ自体を「あの世」へと忘れ去り、自分の体験に過ぎないことを「普遍」で「自明」であると思い込むのです。自らの「先験的」を認識し対象化する事は、前世を思い出す事と同等以上に難しいのです。

 

●「自分の頭」だけで考えると人間が小さくなります。
現代日本は、そのような小さな人間にあふれています。
小さな人間は射程の短い狭い範囲の思考しかできません。
目は見えても、遠くを見通す広い視野を持ちません。
小さな人々が細胞のように寄り集まって、原始動物のような社会を形成しているのです。

●立派な人とはなんでしょう?
立派な人には立派なものがたくさん詰まっています。
立派な人は実に容れ物でしかありません。
立派ではない人には立派なものは入っておらず「自分」が充溢し、実に容れ物ではないのです。