アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

日常と幻覚

先日は、鬱病の友人を見て自分が、鬱病である事に気付いたのですが、これに続いて、幻聴に悩む友人を見て、自分も幻覚に悩んでいることに気付きました。幻覚とは、例えば日常です。日常は幻覚でしかありませんが、これが相当なリアリティをもって迫り、拭い去ることがどうしてもできないのです。

私の自然的に感じる生活のリアリティは幻覚でしかありません。しかし、そのような幻覚を拭い去ることがどうしてもできずに、強力にその幻覚に囚われてしまうのです。例えばフッサールを読む間だけ、その幻想の外部に出る事ができますが、その後に強力な揺り戻しがあり、元の幻覚に囚われ引き込まれます。

鬱病と同じく、精神病を患い幻覚に囚われているのは私だけではなく、人々の大半が実にそうなのです。私もそうですが、多くの人々はそれぞれに異なる自分勝手な幻覚に囚われています。つまりそれぞれに気が違っていて、気違いなのです。まともなのは哲学で、だから哲学は普遍を目指すのです。