アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

共同体と個人主義

近代的個人主義を唱える以前に、人間は本質的に共同体を前提に生きる、群体動物なのです。近代的個人主義は、人間が群体動物であることを前提としています。人間は個人である以前に共同体として生きるのであり、共同体で生きるのが本質だからこそ、個人という概念が生じるのです。

人間とは本質的に群体動物であり、共同体を生きます。人間の認識や思考を司る言語そのものが群体動物としての産物なのです。個人主義を主張する人は、個人主義そのものが、共同体を前提としていることを、忘れています。一方で、共同体を前提とした個人主義が存在します。

芸術といわれるものの中に、共同体を前提とした個人主義による表現と、共同体という前提を見失った個人主義による表現が存在します。

芸術といわれるものの中に、共同体に資する作品と、共同体という基盤を失った作品とが存在します。

人間は、共同体を前提にして存在します。共同体を前提にしなければ、人間は存在し得ません。芸術も同じです。この場合の共同体とはなんでしょうか?

例えば、ソクラテスの哲学は、共同体に資するものですが、この場合の共同体は、ソクラテスが生きた時代のギリシア(アテナイ)を、必ずしも意味しません。

なぜなら、外ならぬアテナイ市民がソクラテスを死刑にしたのです。つまりソクラテスの哲学にとっての共同体とは、地域や時代を超越した、普遍的な共同体を意味しているのです。だからソクラテスは死刑の判決に対し、脱獄のチャンスがあったにも関わらず、これを受け入れたのです。

芸術にとっての共同体も、究極的にはそのようなものではないでしょうか?