アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

群体と機能分化

 

ブドウ、イチゴ、キャベツの収穫マシンの動画です。

まるで、それぞれを専門に食べる動物のようですが、つまりこれらは人間という動物の「口」なのです。人間の食べるための口が、機械として具現化されています。

これは何を意味するかと言えば、人間は生物学的に見れば「群体動物」としての側面を持つ、ということです。
そして人間は、原始時代の狩猟採取生活から、農業を基盤とした文明に移行することで、群体動物としての側面をより強化したと、見ることができるのです。

群体動物とは、複数の動物個体が寄り集まって、一つの個体のように振る舞うという、動物としてのあり方の一つです。カツオノエボシというクラゲの一種は、複数の個体が寄り集まった群体生物ですが、それぞれの個体が触手になったり、口になったり、浮き袋になったりと、機能分化しています。人間も同じで、沢山の個体が寄り集まって社会を形成し、それぞれの人が機能分化しています。

人間社会を俯瞰すると、それはブドウを食べるための口や、イチゴを食べるための口や、キャベツを食べるための口など、それぞれに機能分化した個体を含み、さらにそのように採り入れた食物を、口以外の機能を持つ個体へと分配するという、群体生物として振る舞っていると、そんな風に捉えることができるのではないかと、ふとそのように思った次第です。