アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

自分の顔と他人の心

 自分だけが「自分の心」を直接的に認識できますが、「自分の顔」だけは自分からは直接見えず、他人に向けてだけ公開されています。「他人の心」はその本人以外誰も直接認識できませんが「他人の顔」はその本人以外の、万人に向けて公開されています。

 人は、自分だけにしか見えない心の内と、自分だけが見えない自分の顔とを、お互いに交換し合っているのです。私は「他人には見えない自分の心」を隠し持っているかわりに、「自分には見えない自分の顔」を、他人に差し出しているのです。

 他人は私に対し「私には見えない自分の心」を隠し持っており、その代わり「自分には見えない自分の顔」を、私に対して差し出しています。私に差し出された「他人の顔は」私には見えない「他人の心」を包み込んでいます。ですからその顔には、私には見えないその人の心の内が、間接的に示されているのです。

 人間には心があり、だから顔があります。心は自分にだけ見えて他人には見えず、顔は自分にだけ見えず他人には見えて、その様に対応しています。人間のような心を持たない動物は、人間のような心を持たず、顔と心の対応を持ちません。