アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

政治家と庶民

なぜいつの時代も、政治家が悪で庶民は善良なのか?なぜ政治家が間違っていて、庶民が正しいのか?実に不思議でしたが答えがわかれば簡単です。世間の人は政治家を攻撃するばかりで、自分たちに何か悪いところがあるなどと夢にも思わず、決して反省しないのです。

私の根拠は、プラトンがその著作『国家』で「国家のあり方は国民のあり方の反映だ」と指摘したことです。つまり政治家が悪なのであれば、それは国民が悪であることの反映であり、政治家が愚かなのであれば、それは国民の愚かさの反映であるのです。

ですから本来的には、国民は政治家の悪意を見て自分自身の悪意を反省し、政治家の愚かさを見て自分自身の愚かさを反省しなければならないのです。私自身としては、日本は先進国であって国民は押し並べて一定以上に理性的で知的あると思い込んでいたのですが、どうもそうではなかったようなのです。

安保法案で野党が批判する「強行採決」とは?問題点はどこにあるのか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150716-00000007-wordleaf-polposted at

強行採決」はマスコミ用語で法律用語ではないそうですが、ようやくこうした事の意味がわかってきました。つまり野党政治家は思った以上に頭が悪く、反省力がなく、要領が悪い。仮にも政治家なのだからそれなりの人物だと思ったら大間違いなのです。

話し合いの出来ない国民の反映として、話し合いの出来ない政治家が生じ、反省力のない国民の反映として、反省力のない政治家が生じます。優れた政治家は、優れた国民の反映としてしか生じることはありません。