アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

恣意性の超越

恣意性の超越!「鰯の頭も信心から」と言われるとおり、人は恣意性に縛られます。つまり、必然性のない原因により、結果として縛られるのです。このような恣意性から逃れるには「人を見る目」を養うことが重要です。

恣意性から逃れるには「人を見る目」を養うことが重要です。それは「良いものを見る目」を養うことにも通じ、「真実を見極める目」を養うことにも通じます。なぜならものを作るのは人の精神で、真実や嘘を語るのも人の精神だからです。人の精神こそが必然であり、これを見なければ恣意性に縛られます。

人間の精神とは何でしょうか?人の精神の産物ではないものは「自然」と言われますが、自然以外のものが即ち人間の精神です。自然物に魅力があるのはなぜでしょうか?一つには押しつけがましさがなくストレスが低く、それだけに安心して惹き付けられるのです。

人間の精神の産物である人工物は、押しつけがましくストレスが高い。ですからストレスの低い自然物が好きな人は、人工物が苦手なのです。人工物は何を押しつけてくるのでしょうか?それは、一つには「対話」です。精神の一つの側面は言葉であり、人工物はその言葉を見る人に押しつけてくるのです。