アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

階級とセンス

詩人や昔楽家や画家は空想を喜び幻想を好み、大づかみにいえば彼等は等しく精神的放浪者なのである。 何故かというに、空想や幻想の中には一定の目的がなく、その現実から遊離した世界の中でこそ、芸術家は精神上のプロムナード若しくはバガポンダージュを成すからである#絵画のモタニズム 荒城季夫

 

一般大衆の立場に甘んじている人は、必然的にセンスが古いのです。そして私のセンスは古い!センスを新しくするためには階級移動する必要があります。私の世代では「階級」という概念はあまり意識されませんでしたが、実に階級は存在し人々を縛り付けているのです。

なぜ自分はかくもセンスが古いのか?それは階級に縛られていたからです。階級によってセンスの新しさは異なります。なぜなら、ある階級に縛られている人は、哲学を学ぼうとして入門書しか選択できず、原著を選択することにロックが掛かっているからです。哲学に限らず何事においてもこれなので、センスが古いままなのです。

どの分野に限らず好き嫌いのある人はセンスが古いのです。食べ物に好き嫌いのある人は、食べ物についての新しいセンスを身に付けようもなく、いつまで経ってもセンスが古いままなのです。

私は食べ物については好き嫌いがなく、例え自分の口に合わなくとも、それを美味いと言う他人がいれば「自分の舌が未熟なのかも?」と疑うことはできるのです。ところが美術についてはそうではなく、全く片手落ちと言うほかありません。

新旧論争自体はシャルルペロー率いるモダンな精神を備えたフランスの著述家たちが、進歩という科学的観念を文学と絵画に応用可能であると判断した時点から始まった。#モダンの五つの顔