アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

アリストテレス『形而上学』抜き書き

すべての人間は生まれつき知ることを欲する。その証拠としては感官知覚〔感覚〕への愛好があげられる。というのは感覚はその効用抜きにしてもすでに感覚することそれ自らの故にさえ愛好されるものだからである。#アリストテレス 形而上学1-1

 

しかし殊にその内でも最も愛好されるのは眼によるそれ〔知覚〕である。けだし我々はただ単に行為しようとしてだけでなく全く何事も行為しようともしていない場合にも、見ることをいわば他のすべての感覚に勝って選び好むものである。#アリストテレス 形而上学1-1

 

その理由はこと見ることが、他のいずれの感覚よりも最もよく我々に物事を認知させその種々の差別相を明らかにしてくれるからである。#アリストテレス 形而上学1-1

 

けだし「経験は技術を作ったが、無経験は偶運を」とポロスの言っている通りである。#アリストテレス 形而上学1-1

 

さて技術の生じるのは経験の与える多くの心象から幾つかの同様の事柄について一つの普遍的な判断が作られたときにである。#アリストテレス 形而上学1-1

 

経験家の方が経験を有しないで概念的に原則だけを心得ている者よりも遥かにうまく当てるーその理由は経験は個々の事柄についての知識であり技術〔理論〕は普遍についてであるが行為〔実践〕や生成〔生産〕はすべてまさにここ特殊の事柄に関する事だからである。#アリストテレス 形而上学1-1

 

例えば医者は決して人間なるもの〔人間一般〕を健康にする者ではなく健康にするにしてもそれはただ付帯的にである。すなわち医者が健康にするのはカリアスとかソクラテスとかその他そのような個々の名で呼ばれる者どもの誰かをであって、#アリストテレス 形而上学1-1

 

もし誰かが個々についての経験なしにただ概念的に原則を心得ているだけであるなら、従って普遍的に全体を知っておりはするがそのうちに含まれる個々特殊について無知であるなら、しばしば彼は治療に失敗するであろう#アリストテレス 形而上学1-1

 

けだし治療さるべきは個々のあの人この人であるから。#アリストテレス 形而上学1-1

 

しかしそうは言うものの「知る」と言うことや「理解する」と言うことは経験によりも一層多く技術に属することであるとわれわれは思っており、従って経験化よりも技術家〔理論家〕の方が一層多く知恵ある者だとわれわれは判断している。#アリストテレス 形而上学1-1

 

ここに快楽を目指したのでもないがしかし生活の必要のためでもないところの認識〔即ち諸学〕が見出された。しかも最も早くそうした暇のある生活を送り始めた人々の地方において最初に。#アリストテレス 形而上学1-1

即ち知恵と名付けられるものは第一の原因や原理を対象とするものであるというのがすべての人々の考えているところであるというにある。だから先にも述べたように経験家もただ単に何らかの感覚を持っているだけの者と比べれば一層多く知恵ある者であり、#アリストテレス 形而上学1-1

 

だがこの経験家よりも技術家の方がまた職人よりも棟梁の方がそして制作的〔生産的〕な知よりも観照的な知の方が一層多く知恵があると考えられるのである。さて以上によって知恵がある何らかの原因や原理を対象とする学〔認識〕であるという事は明らかである。#アリストテレス 形而上学1-1

 

我々は「知者」をば全ての物事を認識している者と解している。ただしその意味は彼が全ての物事の一つ一つについての個別的な認識を持っていると言うのではなくてただ能う限り全てをと言うのである#アリストテレス 形而上学1-2

 

次は困難であって人間には容易に知れないような物事を知る能のある者、これを知恵ある者だとする見解である。けだし感覚的に知る事は全ての者に共通した事であり従って容易な事であって少しも知恵ありとするに当たらないからである。#アリストテレス 形而上学1-2

 

これら諸科の学の内では、その学それ自らの故に望ましい学よりも一層多く知恵であり、また一層多く王者的な学の方がこれに隷属する諸学よりも一層多く知恵であると解されている。けだし知者は他から命令される者たるべきではなくて命令する者たるべきであり、#アリストテレス 形而上学1-2

 

我々が求めているもの〔知恵〕の名前はまさにこの同じ学に与えられる。即ちそれは第一の原理や原因を研究する理論的な学であらねばならない。と言うのは善と言い目的と言うのも原因の一種だからである。ところでこの知恵は制作的ではない。#アリストテレ形而上学1-2

 

まさにただその無知から脱却せんが為に知恵を愛求したのであるから彼らがこうした認識を追求したのは明らかにただひたすら知らんが為に出会ってなんらの効用の為にでもなかった。#アリストテレス 形而上学1-2

 

明らかに我々は始原的な原因についての認識を獲得せねばならないのであるからしてーーと言うのは、我々が或る物事を知っていると言い得るのは、我々がその物事の第一の原因を認識してると信じる時のことだからである。#アリストテレス 形而上学1-3

アリストテレスを読んでると毒が抜ける…認識の毒が。しかし認識の毒は、アルコール中毒患者におけるアルコールのように、容易に抜けるものではないのです。こう言う本を中学生くらいに出会って読める子が、明日の世界を作ります!