アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

自然と作為

山本七平『勤勉の哲学 日本人を動かす原理』を読んでますが、似たような日本人論を語っても山本七平さんは全然違ってて素晴らしいです。

現代のこの「自然・不自然」という概念には「自然(じねん)」という要素が入っており時の経過とともに「化為(なる)」のが最上であるという意識いわば「水の低きにつくが如く」自然現象のように結果を招来するのが最も良い状態で一切の「作為(はからい)」は悪であるという意識も入っている。そしてこれらを総合したものが今でも「日本的自然法的意識」といった形で人びとを規制しておりこれがほぼ絶対化している事は否定できない。*山本七平『勤勉の哲学 日本人論を動かす原理』

つまり私の「非人称芸術」とは狂信的日本教、自然崇拝主義の極限化でしか無かったのでしょうか!「非人称芸術」の概念が日本人一般に受け入れられないのは、同じ日本教の内部で派閥分裂していたに過ぎないのでしょうか⁈

私の言う「非人称芸術」とは“時の経過とともに「化為(なる)」のが最上であるという意識、いわば「水の低きにつくが如く」自然現象のように結果を招来するのが最も良い状態で、一切の「作為(はからい)」は悪であるという意識”(山本七平)の言い換えに過ぎなかったのでしょうか⁈

実に私は「自然」と「作為」の対立概念に無自覚に囚われていたと言えます。

自然には自然の作為があると言えます。少なくとも自然には自然の秩序があります。それが人の作為と対立せられるのでしょうか?

人間はいわゆる本能が壊れてるとする見方があります。壊れた本能を補うものとして、人間の作為では不十分だと、伝統的な日本の思想ではされているのでしょうか?

人間は本能が壊れている。という事は、人間にはあらかじめ自然が失われている。なのでこれを補うには、自らに失われた自然を取り入れる必要がある。或いは、外部の自然に身をまかせる必要がある。これが伝統的な日本人の考え方なのでしょうか?