アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

絵画と写真

ネットアートショップ「きたいぶんしギャラリー3000」に私の水彩画作品4を出品しました。下記サイトからご購入になれます。どうぞよろしくお願いします。

kitai3000.theshop.jp

写真家である私がなぜ絵を描くのか?と言えば、もともと私は絵を描くアーティストになりたかったのですが、才能がなくて断念し「写真」に転向した経緯があったのです。

しかし実を言えば私には「写真」を撮る才能もなく、それで写真を立体化した「フォトモ」の技法を編み出したのでした。それで私は写真家・美術家と名乗るようにしてるのです。

ところが実際に私は美術家を名乗りながら絵が描けず、それを不十分なものとして感じていたのです。そもそも写真と絵画とは別物ではなく、根っ子は同じものなのです。

写真はカメラで撮るものですが、「写真」の発明以前から「カメラ」は存在していたのでした。もともとカメラは絵を描くための道具で、レンズから投影された像を紙に映して、それを手でなぞって写実的な絵を描いていたのでした。

つまりいわゆる感光剤の発明以前に「写真」は人の手で描くものとして存在し、それが感光剤の発明によって機械に置き換わっただけなのです。

ダゲールによってダゲレオタイプ写真が発明される直前のヨーロッパでは、あたらしい市民階級の台頭によって、「肖像画」の需要が急速に拡大して、小型のカメラによって安く早く描ける肖像画が大流行したのでした。

ところがダゲレオタイプ写真の発明によって、従来の「手描き写真」は意味を失って画家たちは失業してしまいます。そこで画家たちは「写真には描けない絵を描こう」と思い立ち、それで印象派を皮切りに現代アートが生じたのでした。

ですから「写真」と「絵画」、あるいは「写真」と「現代アート」はそれぞれ無関係ではなく、むしろそれらの関係の、その関係のあり方が問題であると言えるのです。

そのようなわけで私は絵画に挫折して写真に転向しながらも、絵を描きたいと思っていたのです。

「絵が描けない」と思い続けてきた私が、最近になって絵が描けるようになってきて、絵を描くのが面白いと思えるようになったのは、絵について自分が「勘違い」をしていたことにはたと気付いたからなのでした。

さいきん私が絵を描くようになったのは、直接的には「彦坂ITOSAKI塾」の実技の授業で、描くようになったのです。この塾は美術科の彦坂尚嘉先生の主催で、私は今のところ主にお手伝いなのですが、毎週土曜に新宿の竹林閣で開催してるのです。

その「彦坂ITOSAKI塾」で私は他の生徒さんに混じって自分でも絵を描くようになったのです。絵とは何か?は自分で描いてみなければ分かりません。なのでどれだけ描くことがなくとも、取りあえず描く、と言うことを無理にしてみたのです。

そもそもそれ以前に、私は「写真」の才能がないため写真を立体化した「フォトモ」を制作するようになったのですが、しかし「写真」を理解するためにはともかく「写真」を撮らねばならないとあるときに思い立ち、それで今では「写真」も撮れるようになり、「絵画」もその姿勢で臨むことにしたのです。

そのように無理矢理に絵を描き始めて1年以上になりますが、ふと「絵は感性で描くもの」という考え自体が誤りであることに気づいたのでした。

それは彦坂尚嘉先生の描き方がそうなのですが、感性だけではなく「方法」で描いているし、そのために知力を尽くしてさまざまな「方法」を開発しているのでした。考えてみると、例えばカメラのような機械は「感性」だけで作ることはできません。

カメラを作るにはさまざまな専門知識が必要で、それらをいかに組み合わせてアレンジするかによって、カメラは設計され生産されるのです。もちろん感性がゼロでは凡庸な製品しか作れませんし、だからこそ例えばシグマのデジカメは「ぶっ飛んでいる」と評価されたりするのです。

私は「デジカメWatch」で『切り貼りデジカメ実験室』という連載をしてますが、ここで制作する改造カメラやレンズは「感性」だけでは作れず、私の持つカメラやレンズの知識をさまざまに組み合わせてアレンジし、知力を尽くして制作しているのです。

また「フォトモ」も自分の絵画や写真の才能の無さから生まれた手法だけに、自分の「感性」だけにたよらずとも制作できるような「方法」や「理論」をいろいろと構築してあるのでした。

ところが「絵画」についてはそれは「感性だけで描くもの」と思い込んでおり、それはあらためて考えるとおかしなことなのです。もちろん感性だけで素晴らしい絵を描く人はいますが、それだけが唯一の方法では無いと言う事です。

そこで最近の私は、デジカメを改造したり、フォトモを作ったりするのと同じように、絵画も感性だけなく「考える」ということをしながら描くようになったのです。物事を考えてアイデアを出すのは私は好きですから、絵もそのように描いて良いと言うことになれば、私にも描けるようになってくるのです。

絵画とは何か?と言えば、それは作者の感性の表れであると同時に「知性」のあらわれでもあるのです。それは今年の正月に小布施北斎館で葛飾北斎を観ながら、あらためて感じたことでもあるのでした。

今年の正月の北斎館では、北斎と広重の比較展示をしていたのですが、広重に比べて北斎の絵の方が、使われている知性の量が圧倒的に多いことに、あらためて気づいたのでした。

レオナルド・ダ・ヴィンチも「知性の人」として知られてるし、ルネサンス期にダ・ヴィンチらによって完成された遠近画法も知性の産物であり、だからこそカメラという機械に置き換えが可能であったのです。

しかし時代をさらに遡ると、プラトンの著作や初期仏典を読むと、絵画や彫刻などの造形芸術は「知的ではない」として否定されていたのです。そこをヨーロッパではルネサンス期にダ・ヴィンチらによって「知的なもの」に転化されたのです。

そしてダゲレオタイプ写真の発明以後、画家は何を描くべきか?というと言う問題に対して、本質的には知的行為としてさまざまなあり方が模索されてきたのでした。

それが「絵画は感性で描くもの」と私が思い込んで、それが世間の常識にもなっているのは、一つには岡本太郎『今日の芸術』の影響が日本の場合には大きいのではないかと思います。

岡本太郎『今日の芸術』の悪影響については、自分の問題としてもたびたび考えているのですが、一つには「今日の〜」というように新しいことを語っているようでいて、実は戦前の「悪い意味での精神主義」を引き継いでいるに過ぎないのです。

岡本太郎『今日の芸術』では「知性なんかいらない、自らの感性だけで絵は描ける」というように説いていますが、それは「武器も作戦もいらない、精神だけで戦争に勝てる」という大戦中の誤った日本軍の主張をそのまま引き付いているに過ぎず、そうしたものに戦後日本人は汚染しされ続けているのです。

岡本太郎『今日の芸術』における芸術観は、戦後日本人に掛けられた「呪い」です。それは、おそらくはお母さんである岡本かの子に対する反発です。岡本かの子がどういう人か、あらためて調べるとその知的レベルの高さに驚きますが、一方ではそのために子育てがおろそかになり、息子の太郎は被害を受けるのです。

ですから太郎がお母さんに恨みを持って反抗する気持ちも分かりますが、だからこそその気持ちを理解して、太郎が戦後日本人に掛けた「呪い」を解く必要がある。そのためには岡本かの子の「知性」がどんなものであるか理解する必要があるのです。

幸い「青空文庫」に岡本かの子の文章もいくつかあって、ネット上で無料で読むことが出来るのです。中でもエッセイを読むとその知的レベルの高さと、息子太郎との関係も分かって面白いです。