アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

崇高と現実界

中島義道先生の本も『生きにくい…私は哲学病』が本棚に残っていてその冒頭だけ読み返してみたのですが、改めて気付いたのは中島義道先生は哲学を《現実界》に還元しているという事です。《現実界》とは科学の領域でもあり、そして中島先生は哲学を他の「科」と分離し無関係としたのです。

実は私にもあるきっかけで自力で《現実界》を見出した経験があるのですが、これを私も何か真実を見たと錯誤していたのです。近代は科学の時代であり、だから《現実界》がことさら真実のように思えてしまうのです。しかし《現実界》は真実の一側面ではあっても全てではありえないのです。

中島義道先生は斉藤環生き延びるためのラカン』の後書きで「ラカン想像界象徴界現実界、の概念は全く分からない」と述べてましたが、中島先生は哲学を《現実界》に還元し、葬式や卒業式など《象徴界》を理解せず徹底して拒絶するのです。

この本ではラカンの《想像界》《象徴界》《現実界》をパソコンの構造に例えて説明してましたがそれは結局《現実界》に還元した説明であり、だから分かりやすく私も共感したのです。しかし何よりも私自身が《現実界》に取り憑かれていたのでした。

多くの人が「崇高なもの」を追い求めますが、宗教が無効になった時代においては《神》にかわって様々なものが「崇高なもの」と錯誤されるようになるのです。私の場合それは「才能」でした。大学卒業後しばらくまで芸術とは才能の賜で「才能」こそが崇高なものだと錯誤してたのです。

私の中学の同級生「田中くん」は天才的に絵が上手く、特に訓練をしなくとも写真を見ずに写実的な絵がスラスラ描けて、その才能に感服したのでした。また田中くんは難解な哲学書も中学から読みこなしていたのでした。そのように自分の努力の及ばない天賦の才を「崇高なもの」と思うようになったのです。

その「田中くん」は中学卒業後は今で言う引き籠もりになり、しかし「引き籠もり」という概念がなかった当時の親が持て余し、田中くんは精神病院に入れられてしまったのでした。その後私は美大に進学したのですが、その学生にも田中くんとは違う意味での「天才」が何人もいたのでした。

学生時代の私は「崇高なもの」であるところの「才能」が自分にだけ与えられないことに対し絶望していたのでした。しかし今考えると「崇高なもの」とは歴史的に見れば本来《神》である筈なのに、宗教が無効化した時代にそれが別のものに取って代わられ「錯誤」を生じたに過ぎなかったのです。

美大を卒業して私は赤瀬川原平さんの「超芸術トマソン」に出逢うのですが、作者の存在しない超芸術は個人の才能をも超越してるのであり、それこそが真に「崇高なもの」として私は飛びついたのでした。そしてトマソンの概念を「非人称芸術」へと発展させたのです。

私の言う「非人称芸術」の「非人称」とは、つまりは「崇高なもの」を指していますが、今から考えるとこれは《現実界》を指しているに過ぎなかったのです。

赤瀬川原平『芸術原論』では超芸術トマソンの源流はデュシャンのレディ・メイドにあるとされてますが、デュシャンは自分の意図を極力排除してレディ・メイドとなるオブジェを選んでます。この「人の意図の排除」こそが《現実界》の在り方のひとつであり神なき時代に神に取って代わる崇高なものなのです。

「人の意図を超えたもの」とは本来的には《神》ですが、デュシャンのレディ・メイドではそれが「自分の意図を排除して選ぶ」ことに置き換わっているのです。「人の意図の外部」は宗教が無効化し科学が主流となった時代において《現実界》として出現するのです。

私が「非人称芸術」のコンセプトで提唱した「日常に重なるもう一つの日常」とは《現実界》を指していたのでした。いや《現実界》とは人間の五感の外部にあって認識不可能な領域ですが、そのような「認識不可能領域がある」という認識に意味を見出し「崇高なもの」を感じ取っていたのでした。