アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

幸福と快楽

西田幾多郎によると「善」とは理想の追求であり、幸福の追求ですが、逆に「悪」とは何かを考えると、それは理想の断念、幸福の断念で、ほどほどのところで満足し、その「ほどほど」に執着しこれを死守することにあると言えます。

幸福と快楽は違うものであると西田幾多郎も述べています。幸福の追求の断念が、快楽の追求に向かわせるのであり、快楽は断念された幸福の代用品なのです。

快楽の追求は動物的本能に由来しています。しかし幸福の追求はそうではありません。快楽と異なり幸福は「自己認識」と深く関係しています。幸福の追求とは「自己とは何か?」の追求であり、快楽の追求は自己の忘却であるのです。

自己認識とは何か?と言えば、他者との関係との認識です。他者の中に自己がどの様に位置付けられているのか?が自己認識であり、幸福の追求はその様な認識と連動しています。つまりは社会との関係であり、世界との関係です。