アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

身体移動と立体視

さて、私はかなり久しぶりにフォトモの作品集を出すことになりまして、従ってそのためのテキストも書かなければなりません。
と言うわけで、ちょっと下書きをしてみます。

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フォトモは「平面」である写真を「立体」に加工した表現ですが、そもそも平面と立体は不思議な関係にあるのです。

我々は日常的な感覚では、目で立体的なものを見て、立体的な空間を把握していると信じています。ところが改めて科学的に考えると、我々の眼球の網膜に映るのは「平面の像」なのです。すると我々が見ているのは「平面」なのか「立体」なのか、だんだんわからなくなってきます。

言い方を変えれば、我々の見ているものには「平面」と「立体」と、二つの側面があるのです。例えば、我々は日常的な感覚では、目で見ているものが「立体」であることは概ね理解できています。しかしところどころ「どのように立体なのか?」が判然としない部分があって、そこは確認しなければならないのです。

どうやって確認するのかといえば、まずは体を移動させることです。体を移動させれば目の位置も移動し、それに連動して目に見える世界が変形します。例えば、目を移動させると目に見えるものとその背景にズレが生じ、そのズレの具合によって、より具体的な立体感を我々は把握できるのです。

実は人間というのは、ただ座っているだけの場合でも、常に体を微妙に動かし、目の位置を動かしています。そうやって網膜の平面像から、立体情報を引き出しているのです。人間の立体感の把握は、身体の運動と密接に結びついているのです。身体の動きと連動して変化する網膜像から、人間は立体空間を再構築します。