アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

Googleとフォトモ

久しぶりGoogle earthを見たのだが、地方都市である青森市までフォトモのように3D化されていて、驚いてしまった。建物の一つ一つを、写真を元にした3Dに変換する技術はまさに「フォトモ」だが、これを独自のアルゴリズムによって自動的に行う点が、私のフォトモとは異なる。

また、地球上のどの都市も全て無差別に3D化しようとするGoogleの姿勢も、私のフォトモとは異なっている。結局のところの私のフォトモは個人のセンスが関与した「人称芸術」であるのに対し、Googleの技術は「共産主義」的だと言える。

Googleの技術が共産主義的なのは、まずは「技術」を基盤とし、それが自律的に進化し、世界を無差別に覆い尽くすように拡大してゆく点にある。

共産主義の理論によると、人間社会は歴史的必然によって資本主義から共産主義へと移行するとされていたが、現実にその予想は全くもって外れている。しかし共産主義思想の予測が的中する「範囲」と言うのも実際には存在し、その一つがGoogleのプロジェクトなのだ。

共産主義思想が間違えたのは、人間の精神は物理現象のような合理性で作動しておらず、フロイト精神分析によって見出されたように全く非合理で不可解なものを抱え込んでいる。だから共産主義思想が予測したように人間社会も合理的な必然に基づいて理想的に進化したりはしない。

しかし人間が見出した「科学技術」の方は、独自の合理的連鎖によって、資本家や技術者や消費者など、人間各自の意思を超えて、技術そのものが誰も思い描いてもいなかったような方向へと、自律的に進化し続けるという性質を持っている。

つまり共産主義思想の予測は科学技術に限っては的中しているのであり、Googleに見られるような真の意味での共産主義革命が実現しているのである。

しかし、ここまで考えると共産主義思想とは何ということはない、ただ自然現象を言い当てているに過ぎない。実に、理想的な完全なる共産主義は、多細胞生物の身体において実現しているのである。

例えば人体において共産主義は実現している。各細胞は全体の利益のために各自の為すべきことを為し、満足している。各細胞間においては階級差の無い完全な平等が実現し、養分(利益)も平等に分配される。人体という細胞社会全体が、恣意性とは異なる自然法則に必然性によって高度に成立し機能している。

しかし人間の精神は人体とは異なり、自然法則の必然性が当てはまらない膨大な非合理を含んで作動している。結局のところ共産主義とは科学が万能に思えた時代の産物であり、一方で時代を先取りして科学の限界性を指し示したフロイト精神分析は「非科学」だと批判されたのだ。