アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

純粋と自由

小学校では、誰かが先生が帰ってしまったと言うと子供達はわっと躍り上がって秩序を失ってしまう。子供の一人一人が先生がいると言う威圧感から逃れ貴族という重荷を投げ捨て自由に振る舞い自分が自分の主人になったのだと感じる喜びに浸るのである。

しかし彼らに課業と仕事を課していた規則が取り除かれると子供達は元来固有の用事も正式な役割も意味や継続性や方向の定まった仕事もないのだから結局は飛び跳ねる以外のことは何もできないのである。#オルテガ 『大衆の反逆』P.191-192

 

 

岡本太郎の芸術論は小学校で「先生が帰っちゃったから自由だ!」と子供達が大喜びで飛び跳ねているようなもので、しかし飛び跳ねるだけだったら誰でもできるのであり、だから「芸術的意図なくして飛び跳ねたほうがより純粋だ」という純粋主義によって生み出されたのが私の「非人称芸術」なのでした。

山本七平は「日本教」の特徴の一つに「純粋主義」を挙げてましたが、結局のところ私の「非人称芸術」もその例に倣って純粋主義に陥っていたのでした。