純粋と自由
小学校では、誰かが先生が帰ってしまったと言うと、子供達はわっと躍り上がって秩序を失ってしまう。子供の一人一人が先生がいると言う威圧感から逃れ、貴族という重荷を投げ捨て自由に振る舞い、自分が自分の主人になったのだと感じる喜びに浸るのである。
しかし、彼らに課業と仕事を課していた規則が取り除かれると、子供達は元来固有の用事も、正式な役割も、意味や継続性や、方向の定まった仕事もないのだから、結局は飛び跳ねる以外のことは何もできないのである。#オルテガ 『大衆の反逆』P.191-192
岡本太郎の芸術論は、小学校で「先生が帰っちゃったから自由だ!」と子供達が大喜びで飛び跳ねているようなもので、しかし飛び跳ねるだけだったら誰でもできるのであり、だから「芸術的意図なくして飛び跳ねたほうがより純粋だ」という純粋主義によって生み出されたのが私の「非人称芸術」なのでした。
山本七平は「日本教」の特徴の一つに「純粋主義」を挙げてましたが、結局のところ私の「非人称芸術」もその例に倣って純粋主義に陥っていたのでした。