アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

演繹法と帰納法

もし我々が、自由な、囚われない目で、キリスト教の教義や教会史を眺めることができるならば、我々は一般に流布している考え方とは相反するような多くの見解を表明せずにはおられなくなるであろう。

しかしながら我々は、この世に生まれてきた最初の日から、習慣の偏見のくびきに繋がれ、少年時代に受けた印象によって精神の自然的発達の面で阻害され、また気質の形成の上でも規定されているので、仮に我々がより自由な何らかの立場を選び取ってそこに立脚しながら、非党派的な、しかも時代に適った判断を、キリスト教に関して下して見ようものなら、我々はほとんどそれを犯罪行為と見なさなければならないと思い込んでいるのである。#ニーチェ 哲学者の書

 

17世紀~18世紀の哲学 ~経験論ベーコン(帰納法)、合理論デカルト演繹法
http://manapedia.jp/text/380?m=aaa

帰納法演繹法。動物は本能によって行動する、という意味で動物は演繹法によって世界認識し、高等動物になるほどに帰納法を取り入れながら世界認識する。

岡本太郎の芸術論は演繹法であり、デカルトを引き継いでいる。岡本太郎の芸術論は、芸術とはこういうものであるという概念設定が先になされて、そこから芸術と芸術でないものの区分がなされている。

デカルトの「我思う故に我あり」は「自分」を基準に物事を考えようということに過ぎず、そのバリエーションとして「自分が芸術だと思ったものが芸術だ」という岡本太郎の芸術論がある。即ち「これは芸術だ!」と思う自分の気持ちは疑いもなく存在し、どんな権威や知識もそれを否定できない、という認識である。