アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

本能と努力

思い返すと「自分には出来ない」と認めた事が出来るようになっている。例えば私は子供の頃から文章を書くのが苦手で、「書く事ができない」と認めたからこそ努力して徐々に書けるようになって来た。ところが「いつかやろう」と思っていることは「やれば出来る」と思うだけで一向に実現できない。

自分には、やらなければならないのに出来ていない事が膨大にたまっていて、それらはいずれも「いつかやろう」と思いながら「やれば出来る」と思っているが故に永遠に実行されることはない。

人は自分が思っている以上に無能で、その無能さを認めなければいかなる能力も開発することはできない。即ち、人間にとって能力とは、生得的に身についているのではなく、努力して身につけるものなのであり、努力して様々な能力を身につけられること自体が、人間に備わった能力なのである。

努力とは何か?と言えば、一つには「本能が壊れている」とされる人間という動物に備わった能力だと言える。人間は本来的に、他の動物が生得的に備えている生きるために必要な能力(本能)を欠いており、それを努力によって身につけるように出来ている。だから能力の獲得の前提に「無能」の自覚がある。

人間は動物としての本能が壊れている。よって人間は努力しなければならないのである。

かの葛飾北斎も、自分は何て絵が下手なんだと嘆きながら、終生その腕を磨き続け、スケートの羽生結弦選手も自分は努力の人だとインタビューで語っていたし、ピアニストの腕前も才能ではなく練習量で決まるそうで、人間の能力とはそういうものなのである。

もちろん「才能」や「向き不向き」の要素はゼロではなく、例えば同じ量の練習をしても誰もがオリンピック選手並みに速く走れるようにはならない。しかしどんな能力にしろ努力によってそれを身につける事が出来るということは、誰にも共通する人間にとっての本質だと言える。