アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

宗教とモラル


マキャヴェッリによると、国民にモラルがあるのはその国に宗教があるおかげである。そう考えると現代の日本人には押し並べて、文明人のしての一定のモラルを備えているが、これも宗教のお陰だと言うことができる。

日本人は口では「無宗教」を言いながら、その実、宗教的な国民で、その証拠にマキャヴェッリが指摘したようなモラルを備えている。日本人の多くが「無宗教」を自称するのは、日本に特有の宗教を、日本人自身が対象化していないからで、日本人のモラルは宗教的なものだと考えられないだろうか?

「法律に触れなければ何をしてもいいのか?」あるいは「誰にも迷惑がかからないなら何をしてもいいのか?」といった問いは、マキャヴェッリ的に言えば宗教的なモラルから出ている。なぜなら宗教には、一国の法律や個人の事情を超えた普遍性があるからである。

「言語」を共有する人間は集団でなければ生きて行けないが、集団を成立させるにはモラルが必要で、さらに集団の規模によってモラルのあり方が変わってくる。即ち、集団の規模が小さいほどモラルの特殊性が高く、集団の規模が大きくなるほど、モラルの普遍性が高まる。しかしこれは概念で実際は異なる。

モラルとは人間の集団を調整するための最大公約数的なものであり、究極的には時間や空間を超えた普遍性を目指すものであるが、実際には人々が信じる「普遍」のあり方が食い違っており、それが戦争の原因になっている。