アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

『芸術への道』抜き書き3

●芸術家には「材料への感覚」が要求されるわけで、この感覚の鈍い芸術家は、選択した材料を的確に使用することは出来ないし、それを作品の全体性に有効に活かすことはとうてい出来ない。#芸術への道

芸術はいつもその意味内容のためにこそ成り立って来たのであり、これに較べれば形式上の特徴などはすべて色褪せてしまう。表面に現われた美学的な質は作者にとっても、また作品の依頼主にとっても決して第一目的ではなかったし、また究極的目的でもなかった。#芸術への道

モチーフは、造形的に形づくられて初めてその重要な意義を獲得するのであって、それ自身では切り出したままの大理石片と同じ単なる材料でしかない。決定的なのは芸術家がそれから何を創り出すかと言うことである。#芸術への道

偉大なモチーフは必ずしも偉大な芸術を保証しない。偉大なモチーフがそのまま実現されるためには、非凡な形式表象が要求されるのである。#芸術への道

モチーフに生命を与えるのはただフォルムだけである。#芸術への道

一八九一年に没した文化史家グレゴロヴィウスは、歴史家の種類を二通りに分類して、その場に居合せた歴史家と、居合せなかった歴史家とに区別しているが、この画家レッシングは、言ってみれば臨場しなかった歴史家であり、それ故に単なる見せ物しか描けなかったわけである。#芸術への道

美術史の中でモチーフは最重要な意味を担っている。そしてその意味はフォルムの力によって初めて有効になる。そこで、
もしフォルムに創造性がなかったら、同一のモチーフから何故に多様な表現が得られるかを説明することはできない。#芸術への道

芸術におけるモチーフとは何か。フォルムのための材料である。モチーフは、フォルムを通してはじめて明白になり、かつ内容を得るのである。#芸術への道

材料とモチーフはオーケストラで言えば楽器に当たり、これを指揮するのがフォルムである。それらは、フォルムがつくり提示する意味によってどのようにも変化し、また定着するのであって、作品の意味は専らフォルムの力によって生まれるのである。#芸術への道


教育もまたそうしてなされる
縛られることを知らない者に
純粋至高の完成は得られない。
偉大を望む者は全力を傾けること、
制約の中でこそ巨匠は生れ、
規律だけが自由を与え得るのだ。(ゲーテ)#芸術への道

芸術は現実性だけに留まらず、それ以上のものー真実ーを求める。芸術はわざとらしさや、こじつけで為されてはならない。優れた作品は自然で、それ自体の中で調和的でありー純粋である。だが芸術家が形式に熟達することなくしてこの真実と純粋性は成就されない。線と面、立体と空間とに精通しなければならないのだ。もちろんこうした要素に精通しても未だ十分ではない。芸術作品は多声的なものであって、材料に立脚し、次いで例えば宗教とか世俗的なもの等のモチーフを表わし、そして様々な構成要素を綜合的なフォルムの中で満たして行くのである。#芸術への道

芸術作品そのものは単に「確認される」だけでは満足しない。作品のあらゆる筆跡は一つの内的な核心を観るよう指図し、同様に、作品が拠って立つ隠れた規範に留意するよう要求しているのである(ゲーテ)。個別的なものは全体の構成要素としてのみ理解され得るのだ。従ってベツュライブンク「作品の叙述」というものは常に作品の本質を指向しながらアクセントを置いて行かねばならない。作品の叙述は理解行為であって、単なる報告ではない。#芸術への道

ここで言うわれわれの認識とは見て入ることである。見て入ること、は多様な視点に立って初めて可能になる。芸術作品はともかくみな本質的意味と歴史的意味を担っているが、われわれはこの書の中で特に芸術の本質的意味を尋ねてきた。作品を前にしながらわれわれは常に何が真に芸術的であるかを問い、そうすることによって作品をその歴史環境から抽き出し、或いはまた歴史環境を、ほんの手短ではあるが略説してきた。芸術には超時間的なものが現象していた。#芸術への道

個別作品を歴史的なつながりに組み入れて、それを歴史の証として把握すること、つまり人間が常に同じ根本問題と取り組みながら、その都度の歴史状況に見合う固有の解答を見出してきた歴史の証として芸術を理解することも大変大事なことである。人間の存在は、正に歴史から少しずつ浮かび出て来るのであり、人間は歴史の中に、時代から時代へ、文化から文化へと 自己を実現しているのである。#芸術への道

芸術作品との出会い方は決して唯一でない。芸術作品の内的な豊かさが、多様な見方を要求しているのであり、そこには芸術の本質意味への方向性と歴史意味への方向性が同程度に存在し、どちらも欠くことができないのである。#芸術への道

芸術へのすべての道は同じ目的に通じている。何故なら芸術は、人間とは本来何か、そして最も深いところで一体何ものであるのか、ということをわれわれに打ち明けてくれるからである。芸術への道は人間への道である。#芸術への道