アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

デカルトとアリストテレス

適切な呼称かどうか不明だが「幕の内弁当理論」と言えるようなものがあって、例えばデカルト方法序説』後半にあった、心臓の仕組みについての論文がそれに当たる。

 

デカルトはその当時科学的に解明されていなかった人体の血液循環の仕組みについて「熱膨張説」を主張し、これについて詳細に解説している。

 

血液循環が熱膨張で行われるというのは、今の常識からすると明らかな間違いでしかないのだが、デカルトは血液循環が熱膨張によるものであることを、様々な証拠をあげながら理路整然と説明する。

 

デカルトの理論は明らかな間違いで、想像の産物に過ぎないのだが、しかし理論としてだけ取り出してみれば、その理論体系の中では整合性が取れている。

つまり理論として矛盾なく完結しているけれど、現実とは全く対応していない、そのようなタイプの理論が存在する。

 

それは、ご飯と様々な惣菜がコンパクトな容器内に収められ、完結した宇宙を形成する幕の内弁当のような理論であり、そこから「幕の内弁当理論」と名付けてみたのである。

 

「幕の内弁当理論」は様々なところで見ることができる。

例えば以前、あるアーティストの講演を聞いたのだが、その人の話だけを聞いている限りはなるほど理路整然として整合性が取れているように思えるけど、実は肝心の作品そのものが良くなくて、理論と作品が合致してるように思えない。


つまりそのアーティストは、実のところ「何となく」のセンスで作品を作り、それとは別に、理論としてのみ辻褄のあった理論を後付けして、知的なフリをしているに過ぎない。

いやもっと言えば、知的行為とは「幕の内弁当理論」を構築することだと誤解している。

そのような人が、ある一定数確かに存在するのである。

 

そもそもそれはデカルトがそうであったし、何より私自身がそうであったのだ。それが私の「非人称芸術理論」であったのだが、非人称芸術は「幕の内弁当理論」に過ぎないとして、完全否定しなければならない。

いや、完全否定できるのか?と言い切れるか不明だが、今は「方法論的に」否定するしかない。

 

私が誤解していたのは、直接的にはレヴィ=ストロースについての解説本を読んだせいで、実際にどう書いてあるのか確認する必要はあるが、ともかく解説本にはレヴィ=ストロース構造主義によっていわゆる未開民族の知的体系と、欧米人の知的体系は「等価」であると論じたと書かれている。

 

レヴィ=ストロースによると、どれほど普遍性があるように思われる理論も、それは特定の文化に属しその影響を受けた人の思い込みでしかない。

つまり全ての理論は「幕の内弁当理論」であり、たとえヨーロッパの知的体系であっても、未開人の知的体系である「神話」のような理論を独自に創り出したものに過ぎない。と、私はそのように理解したのである。

 

ところがさまざまな哲学書を解説本ではなく原著翻訳で読むようになると、これまでの自分の理解がまさに誤解であったことが判明してくる。

一つには、狩猟採取生活段階の原始社会と、農業が発明されて以後の文明社会とでは、知的体系の規模が決定的に違っている点が理由として挙げられる。

 

文明というのは、一般的には世界四大文明と言われ、文明は四つの異なる地域からそれぞれ独自に発生したように思われているが、実は文明の起源はメソポタミアの一箇所であると考えた方が妥当性がある。

 

その理由のひとつは、人類史800万年、現生人類史15万年とすると、その間はずっと原始社会であったにも関わらず、文明の歴史約1万年の間に4回も偶然に「文明」と言うものが生じたとはどうも考えにくく、一箇所で一回限りに生じたものが、時を経て各地に伝搬したとする方が自然である。

 

そのようなわけで、文明とは西欧とか欧米と言った限定された時代や地域のものではなく、その知的体系は、一万年の積み重ねと世界規模の広がりを持つ、非常に巨大な樹なのである。

それに比べて原始社会の知的体系は、少人数の「群れ」の規模に過ぎず文字による蓄積もなく、それぞれが草のように小さい。

 

ところで最近、アリストテレスを何冊か読んでわかってきたのだが、アリストテレスの著作はどれもあるメソッドによって書かれており、フッサールはそのアリストテレスのメソッドに忠実に考察を深めているのであり、それが「あらゆる哲学はアリストテレスの哲学の注である」と言われることの意味なのだ。

 

私の「非人称芸術理論」も全くもって原始時代に回帰した幕の内弁当理論にしか過ぎず、実際に私は哲学の世俗的な解説本のみを読んでこの理論を構築しているのであり、出生からして間違っている。なのでここは自分の心情は無視して、方法論的にででも「非人称芸術理論」を完全に否定すべきなのだ 。

 

そうなると、実は明らかになるのが、私の作品「フォトモ」が成立している理由が、「非人称芸術理論」によるのではない、と言うことである。

私はこれまで「非人称芸術」をフォトモが作品として成立する根拠に据えていたのだが、それは私自身の誤解に過ぎなかったのであり、それが私の作品に対する評価と、私の理論に対する評価との「ズレ」としても現れていたのである。

私のフォトモはその初めから非人称芸術理論とは全く無関係に、別の理由によって成立していたのであり、それについて改めて考察する必要がある。

 

実は私はフォトモという存在について、非人称芸術のコンセプトに対して不純なものを感じていたのである。

つまり非人称芸術のコンセプトに忠実であるなら、そもそもフォトモを作ることや、記録写真を撮ること自体が不要なのである。

なぜなら、非人称芸術は「無作為」であることの完全性がそのコンセプトの要であるはずなのに、フォトモという作品を作ったり、記録として写真を撮ること自体が「作為」であるからだ。

しかし「非人称芸術理論」が間違いだったとすると、コンセプトに対し不純だと思われていた「作為」こそが、フォトモを作品として成立させていた要素である可能性が、浮上してくる。

 

いや実際にフォトモは、非人称芸術理論とは全く無関係の、フォトモ独自のいくつかの造形的メソッドの複合によって製作されている。

それらメソッドのうち一部が欠けている場合、フォトモは作品として成立せず文字通り「紙くず」になってしまう。

私はそのように、フォトモが「紙くず」にならないよう繊細な気遣いをしながら製作するのであるが、少なくともその「気遣い」は、作品を成立させる大きな要素だと言えるだろう。

 

なぜなら優れた作品は優れた料理と同じく実に繊細な気遣いによって成立するものだからである。

私になぜそのような気遣いができるのか?

それは一つの才能だとも言えるが、しかし才能とはもって生まれたものというより、その人の育ちの過程の何らかの理由によって「文明としての体系」に接続され、それによって発揮された能力だと言える。

 

つまり人は育ちの過程によって、いつの間にかある種の「まともさ」を身に付けることがあり、それが世間で「才能」と呼ばれるものの一つのあり方だと言える。

 

私の場合、フォトモの制作方には「まともさ」がある一方、非人称芸術理論の方は「まともではない」。

そして、私のまともではない理論は、元を辿ればデカルトの血を引いている。

 

デカルト系の理論というものがあるのだが、理論は現実とは無関係に、閉鎖的理論体系をいくらでも作ることができる。

理論によって、コンパクトな整合性を持つ様々な種類の「幕の内弁当」がいくらでも製造できてしまう。

しかしこれらの理論は現実とは一切対応しておらず、その意味において「間違い」なのである。

 

一方でフッサールは、デカルト懐疑論から出発しながらも、アリストテレスのメソッドによって考察を深めて行ったのだと言える。

フッサール現象学的還元や判断中止は、実にアリストテレスのメソッドを別な言葉で言い当てたものであり、古代から伝わるそのメソッドを失った哲学者、科学者たちを批判したのだ。

 

哲学の方法論にデカルト式とアリストテレス式の二種類があるとすれば、以前の私はデカルト式で、それからアリストテレス式に切り替えたのだから、デカルト式によって考えた「非人称芸術理論」は間違いであることが明白で、未練なくこれを捨てらさなければならない。

いや、非人称芸術理論を全く忘れ去るというのではなく、それがどのように間違いなのかも含め、アリストテレスのメソッドによって再考する必要がある。

 

私の非人称芸術は、岡本太郎の芸術論の極限化であったが、岡本太郎の芸術論はデカルト的思考の産物であり、だから私の非人称芸術は、デカルト的思考の極限化だったのである。

つまり「私」を基盤に置いた芸術の極限化である。

 

なぜ私はそのような極限化をしなければならなかったのか?

まず私にとって芸術とは「私」を基盤に置いた芸術以外に考えられなかった。

私は美大生ではあったが、状況的に「学問」というメソッドから遠ざけされ、世俗的に芸術を定義しなければならなかったからである。


ところが私には「私」を基盤に置いた芸術作品を作るための「才能」が無く、このことで大学卒業後しばらくまで随分と悩むことになる。

そこで私はそのような自分の才能の無さを克服するため、「私」を基盤に置いた芸術そのものを極限化し、その向こう側へと突き抜けようとしたのである。


その結果、私は「非人称芸術理論」に辿り着き、才能についての劣等感もようやく解消されたのだが、しかし「私」を基盤とした芸術という根本的な世俗性からは脱することができなかったのである。


私の非人称芸術理論は人間の「信じる」と言う機能に由来いているが、この「信じる」と言う機能そのものが自明化しているために、学問として底が浅すぎて成立していない。

 

「信じる」とは何か?

私は「鰯の頭も信心から」の言葉通り、信じたものが何でも神になる、と言う自分自身の実際の経験を通して、これによって「神は遍在する」ことを確信したのであるが、その自分の「確信」とは一体何であるのか?

 

私が見出した「神」は客観的に判断するなら明らかな「勘違い」に過ぎないのだが、それは実際にきちんとした宗教書を読むことによって、次第に明らかになる。

 

また一方で私はダブルスタンダードを使っており、「信じればどんな料理も最高の味になる」とは言えないことを、経験的に知っていたのである。

私は料理については「自分の好み」を超えた普遍性によって美味い不味いを判断していたのに対し、芸術においては口では「非人称芸術」を称えながら、実際には「自分の好み」によってその良し悪しを選別していたのである。

 

私の美術の好みは何かと言えば、明け透けに言えば権威主義に反抗したキッチュなのである。

この反権威主義としてのキッチュへの嗜好が、私自身の認識や思考に対し、明白な「足枷」となったのである。


結局のところ「非人称芸術」を見出した私は芸術家としての「まともさ」から外れていて、その意味において病気なのであり、その場合はフロイト先生に倣って自己分析して自己治癒するしかない。  

このフロイト先生の精神分析も、アリストテレス先生のメソッドの応用なのである。
私の提唱した「非人称芸術」とはつまり時代現象としての「キッチュ」を私なりの言葉と概念に置き換えたものに過ぎなかった。

だからより普遍的に考えるならば、時代現象としてのキッチュについて考える必要がある。


キッチュと芸術とは異なる。これは客観的事実として理解できる。キッチュを下敷きとした芸術は存在するが、キッチュそのものは芸術ではない。しかし私はキッチュこそが芸術だと言い切り、その根拠として「非人称芸術理論」を構築したのであった。

 

問題は、私自身がどのようにしてキッチュを芸術して錯誤したのか?と言うその構造にある。この解明には、私個人を超えた社会現象としてのキッチュとは何か?を考察する必要がある。