アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

意味と間違い

私の間違いは、非人称芸術を語ろうとして、芸術を語ろうとしなかった点にあった。芸術を語るとは、芸術を総合的に捉えて語ることである。このため非人称芸術も芸術の枝葉の袋小路の一つとして語る必要がある。なぜなら芸術には同様の行き止まりの枝葉が、事実として多数存在するからである。

そして、真っ当に考えるなら、私は「非人称芸術の記録写真」ではなく「芸術作品」を作らなくてはならない。

芸術作品には、二種類の作り方がある。一つはバルテュスのように、時代の流れに背を向けて、あくまで「自分の芸術」を作るやり方。もう一つは「自分」を捨てて「芸術」そのものを作ろうとするやり方である。

いかに間違った考えであろうとも、考えること自体は、何も考えないことよりもましである。さらに考えを進めて、それまでの自分の考えの間違いに気付くことが出来たなら、その間違った考えに陥ったこと自体が自分の考えの軌跡となり、間違ったそのこと自体に意味と価値が生じる。