アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

考えと記号

考えが前に進まないときは、考えそのものがブリコラージュに陥っていて、考えの対象が記号化しそれ以上分解不可能になっている。例えば「芸術が分からない」といった場合の「芸術」や、金儲けの仕方が分からないと言う場合の「金儲け」がそれに当たる。

エンジニアリング思考の場合、例えば「芸術」とか「金儲け」などについて「自分の頭」で考えることはしない。「自分の頭」で考える限り「芸術」にしろ「金儲け」にしろあらゆる事物は記号化し、ブリコラージュ的思考の素材にしかならない。

そもそも「自分」と言う人間は、せいぜい数十年前に、世界というところに「遅れて」やって来たのであり、何かを知っていようハズがないのである。だから「知る」ことは自分に先行する他者から教わることであり、「考える」とは自分に先行する他者の頭を使って考えることなのである。

財産とは何か?人は誰でも裸の赤ん坊として生まれ、そして親をはじめとする様々な「先行する他者」から、様々なかたちとして財産を受け取る。そしてその財産は、自分が死ぬときは全て手放して、世の中に返すか捨てなくてはならない。