劣等感と解消
モチーフと技法は芸術にとってはどちらも不可分である。私の場合は、けっきょく好きなものを好きなように表現してきたのだが、そのモチーフと技法について、どちらについてもいろいろ理屈をこねてきた。それはそうしなければ、作品を展開することができず、製作を継続できないと考えたからだ。
たとえその理屈が間違っていようとも、なんの理屈もつけないよりも、理屈をつけたほうがマシである。そして考えている限り、理屈が間違っている場合の間違いは、いつか明らかになる。そうすればその間違った道程も含めて自分の考えの軌跡となり、全ては無意味ではなくなる。
自分の根本の問題は、子供の頃から体が弱く頭も良くなかったので、唯一得意な絵の分野でなんとかしようと思って美大に入ったのだが、そこでも自分の才能のなさ、という挫折を味わい、それをどうにかしようと足掻いていたのだった。
そこで「非人称芸術」のコンセプトが見出されたのだが、今振り返ると、このコンセプトは、自身のコンプレックス解消として最もよく機能したのである。非人称芸術の内容そのものは端的に言って間違いなのだが、しかしコンプレックスの解消としては極めて有効に作用したのである。
非人称芸術は、何よりも自分の精神治療の役に立ったのであって、それ以上の意味があるかは疑わしいが、ともかく自分にとっては意味がなかったわけではないのである。
劣等感に苛まれると、とにかく何もできなくなり、だから私は美大に行きながらろくに作品制作ができずにいたのである。だから私にとって劣等感を解消する治療がどうしても必要だったのだ。
非人称芸術とフォトモのどちらが先だったのかは自分でも覚えてないのだが、しかし自分にとってコンプレッスつまり劣等感の解消が第一で、それがなければ何もできず、何も考えられなかったのである。
私は自分のコンプレッス解消法をどこで学んだのか?といえば、思い返すと加藤諦三の影響が大きい。高校生当時、私は友人の勧めで加藤諦三を読んで、一時期夢中になったのだ。
加藤諦三によると、自分が悪いのは自分が悪いからだというように、全て自分で抱え込むのは間違いで、多くの場合は親が悪いのであって、そうした原因を認識することで気持ちが楽になり、主体的に考える力を得ることができる、と言うようなものである。
今、2000年に出した初めての単行本『フォトモ-路上写真の新展開』を読み返しているのだが、あらためて創造の喜びに満ちているように自分でも思えるが、それは長年の劣等感が解消されたための自由の喜びでもある。
一方で非人称芸術の理論は2010年の高松市美術館の企画展までほとんど変化せず、発展性もない。非人称芸術のコンセプトは自分にとって重要に思えたのだが、客観的に振り返ればその内容は小さくやせ細っている。実際に私は非人称芸術について一冊と大著を記すことは出来ず、それだけの内容がないのだ
私は自分の劣等感を、結果として段階的に解消してきたのである。非人称芸術はその段階の一つであり、しかもそれ自体が劣等感解消の為の方便に過ぎず、さらに次の段階の劣等感の解消が必要だったのである。
私にとって非人称芸術とは、法華経に書かれた「幻の街」だったのである。商人の一行を、案内人が街へと道案内する。ところが行けども行けども目的地に到達せず、商人の一行は疲れのあまり諦めて引き返そうとする。そこで案内人は魔法の力で「幻の街」を出現させ、一行が目的地に着いたと勘違いして、安心して休んで体力と気力を回復したところで、「さぁ、本当と目的地はもうすぐだから行きましょう」とまた道案内をするのである。私にとって「非人称芸術」まさにその幻の街であって、役に立ったのは確かだが目的地ではなかったのである。
劣等感というのも不思議なもので、フォトモにたどり着くまでの自分は人一倍劣等感が強いのだと思っていたが、そう単純なものでもないらしい。人は誰でも、例えば高学歴で劣等感など無縁のように思える人でも、以外にも劣等感を持っている、しかしその劣等感との付き合い方が、人によってどうも異なる
私の場合は劣等感が他人より強かったというより、誰でも持っている劣等感に対して、人一倍強く反応しすぎていたのかもしれない。
というのも自分の劣等感が取り除かれてから他人を観察すると、どうも劣等感を持ってはいるものの、それに対し何が何でも取り除かねばならぬという想いがどうも感じられず、自分の劣等感を受け入れてうまい具合に同居しているように思えるのだ。
しかし考えてみれば、例えば私は貧乏だし貧乏はいやだけれど、かと言って何が何でも貧乏を脱しなければならないという焦燥感もなく、自分の貧乏を受け入れてうまく付き合っているとは言えるのだ。当たり前の話だが、自分の負の要素のうち、何にどう反応するかは人によって違うのだ。
結局のところ、人は誰でも貧乏から抜け出そうと必死になるわけではなく、同じように人は誰でも劣等感から抜け出そうと必死になるわけではない。誰もが何らかの負の要素を抱えながら、それを無理に解消するよりも、うまく同居する道を選ぶのである。