アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

中国の歴代名画記

 

『歴代名画記』張彦遠撰を読んでるが、wikiによると張彦遠(ちょう げんえん、生没年不明)は中国の晩唐(9世紀半ば - 10世紀初頭)の士人にして著述家、絵画史家。中国最古の絵画史とされる『歴代名画記』を著し画史の祖と称された。また書論として著名な『法書要録』を編纂した、とある。

張家は高官の家柄で書画の収蔵がおびただしく、彦遠は書画の鑑賞に恵まれた環境に生まれた。一族の多くが書を得意とし、さらに音楽にも通じたものが現れた。張家は代々書画の収集に傾注し、朝廷の収蔵に匹敵するコレクションを蓄えていた。しかし妬みによりの大半を朝廷に没収される。

さらに戦乱により残りのコレクションも失ってしまう。彦遠は先祖から伝わった書画のコレクションを失ったことを生涯にわたり悔やみ、この痛恨の思いは彦遠を書画の収集に熱中させ、やがては中国美術史上の画期的な著述『歴代名画記』が誕生する原動力となった。

その『歴代名画記』の冒頭、『画の源流を述ぶ』に“それ絵画は教化を成し、人倫を助け、神変を極め、幽微を測り、六経と功を同じくし、四時と運用を並ぶ。これ天然に発するなり。述作によるにはあらず。”とある。「神変」は人智を超えた現象、「六経」は儒教の基本経典、「四時」は一日四回の座禅修行である。

このように調べて書き込みながら読んでおりますが、絵画は古代中国においては文化的に大変高度で高級なものであり、これに対し現代の絵画はずいぶんイージーになったことが窺える。 https://pic.twitter.com/Dv54ghAY6Y

難しいものが簡単になるという点において、写真の歴史は絵画の歴史をなぞっている。いや本来的に、写真術は絵画技法の簡略化として考案されたものだが、しかし初期写真術は銀板を自分で磨き、薬品も自分で調合するなど撮影から現像まで膨大な手間と技術と知識を必要とした。

そんなに手間をかけて写真を撮るなら絵を描いた方がまだ簡単というか、写真の発明に影響されて、絵画は手間のかかる精密描写を写真に譲り、よりイージーな絵画のあり方を模索するようになり、それが印象派に始まる現代アートとなった。