アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

言語による認識と、言語によらない認識

人間は言語によってのみ認識しているのではない。人間は言語による認識と、言語によらない認識とを併用している。言語によらない認識とは何か?と言えばこれは言語によらない象徴作用であり、動物的な象徴作用だと言える。

 

言語によらない象徴作用とは何か?を自らのうちに観察して選り分ける必要がある。

 

私は子供の頃から絵を描くのが得意な方だったが、逆に言えば大部分の子供は絵を描くのが苦手だと言える。それは大人でも同じで、大部分の人は絵が描けない。これは考えると不思議なことで、目が見える人なら誰でも具体的な世界を見ているはずなのに、それをそのままリアルに絵に写して描くことができない。

 

それをするには、いかに絵を描くのが得意な私であっても、美大の受験予備校でデッサンの特殊な訓練を受けなければならなかったのである。デッサンの訓練とは、眼に見える対象物を改めて言語によって象徴化する訓練だと言える。

 

逆に言えば人は普通、眼に見えるあらゆるものに言語を当てはめて象徴的に認識しているようでいて、実際にその機能は補助的にしか作動していない。人は眼に見える具体物を漠然と見ている。この「漠然と」とは一種の象徴化、言語によらない象徴化、動物的象徴化機能が作動している状態だと言える。

 

逆に言えば人間以外の動物は言語を使用せずに事物を漠然とした形で、しかもよく認識している。人間も動物も言語を使わずして物事を漠然としながら詳細に認識することができる。それは人間の文字の認識機能にも関わっている。ワープロを使いすぎると、漢字を読むことはできても書くことが出来なくなる

 

そのような時の人間は漢字を漠然と、同時に詳細に捉えている。おかしな言い方ではあるが、漢字を漠然と正確に認識する機能が、言語によらない動物的象徴化機能なのである。

 

動物的象徴化機能の上に言語的象徴化機能が乗っており、さらにその上に動物的象徴化機能が乗っており、そのようにレイヤー化されている。