アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

言語によらない象徴作用

人間以外の動物は言語を介さずに世界を認識する。動物は言語以外の方法によって、世界を象徴化して捉える。動物にとっての環世界は、種に固有の身体によって捉えられた様々な象徴の関係によって成立している。

 

現象学的に考えれば、人間にとって言語によって象徴化せずとも立ち現れる環世界が確かに存在し、それは人間以外の動物とも共有されているかのように、現象している。人間の言語機能は進化する、この点は重要である。少なくとも、人間が文字を獲得した段階で、それ以前より言語機能は進化している。

 

人間の身体は生物学的に進化しないが、人間の文化は進化する。そして文化とは言語であり、言語は進化する。言語によって、自然物の「加工品」が生み出される。自然物の加工の仕方を言語化しなければ、加工は不可能である。

 

人間が言語によって自然物を加工してモノを生み出すと、生み出されたモノはそれ自体が「動物的象徴化機能」によって捉えられる。例えば「木の椅子」を作ろうと思っても、その作り方を言語で理解しなければ、作ることはできない。

 

たとえその人が日常的に木の椅子を使っており、その限りにおいて木の椅子についてよく知っていたとしても、それと同じ木の椅子を自分で作れるとは限らない。

 

つまり、木の椅子を漠然と認識しているだけでは、それを作ることができない。「漠然と認識する」とは動物的象徴化機能によって、それを認識することである。

 

「木の椅子」は確かに言語であり、それによって対象物を認識しているのは確かだが、しかしそれは同時に「言語によらない象徴化機能」により認識される。その証拠に椅子の存在そのものは、言語を使用しないネコやサルにも認識できるのである。

 

ネコは椅子をどのように認識しているか?「地面」との関係で捉えれば、それは自分の進路を遮り、地面に対してある「高さ」を有しており、ごく狭い「面積」を有している。それでこの椅子は、ネコにとっても落ち着いて座ることのできる場所になりうるのである

 

ネコは言語によらずして、椅子の特徴を象徴的に捉える。人間は椅子を「椅子」という言葉で言い当てると同時に、ネコと同じレベルで、言語によらずして椅子の特徴を象徴的に捉える。動物の身体は、それ自体が計測装置なのである。計測装置は計測数値を象徴的に表示する。

 

ネコの身体はそれ自体が計測装置であり、その固有な装置に応じた計測結果をもたらし、ネコ自身はこれを利用して世界認識する。人間の言語は計測装置としての身体の拡張である。だから人間は計測装置としての身体と、計測装置としての言語を併用しているのである。