アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

無意識の主体

posted at 03:38:52

彦坂尚嘉先生からラカンの『エクリ』を借りて冒頭だけ読んだら、ちんぷんかんぷんで取りつく島もない…と言うほど分からなくもない!もちろん「分かる」とは言い切れないですが。

ラカンは『エクリ』冒頭で、「シニフィアン連鎖の自己主張」および「無意識の主体」という言葉を使っている。意識の主体はこの「私」だとして、無意識の主体とは?…それはラカンが言うように中心から離れた場所にある。

 

ところで絵画の遠近法に基づけば、中心(私)から周辺部に離れるに従って見えるものは小さくなって行く。しかし「無意識の主体」といった場合、それは中心(意識の主体としての私)から周辺部に離れるに従って逆遠近法的に大きくなってゆく。まるで懐中電灯で照らされた影のように離れるほど大きくなる

 

それは意識とは「私の意識」であるのに対し、無意識とは集合無意識であり、だから「無意識の主体」は「私」よりも大きく、「私」から離れれば離れるほど「無意識の主体」は巨大化してゆくのであり、究極的には「神」になる。