今なら分かりますが、中島義道先生のこれは自分のことを言っておられますね…私も中島義道先生の本は一時期片っ端から読んでましたが、ちゃんとした哲学書を読むようになって「卒業」したのでした。
売れる本を書ける人はごまかしのうまい人が多く、内容の貧弱さをレトリックでカバーできる才能をそなえている。多くの人から喝采を受ける味をしめた後は、しらずしらずに読者におもねり、評判をかち得るためには真理も自分の信念をもアッサリと捨てるほどの勇気をもっている。『人生を<半分>降りる』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) 2018年2月9日
私が初めて読んだ中島義道先生の本は文庫になる前の『哲学の教科書』だったが、今読み返すとなぜダメなのか?と言えば、中島義道先生は哲学の基盤を「子供の素朴な感性」に置いている。しかもそれは自身が子供時代から一貫して持ち続けている「人間はいつか死ぬ」という直感に基づいている。これは実に岡本太郎『今日の芸術』と同様の主張であり左翼思想そのものなのである。
左翼思想は人間の本質を原始的なもの、子供的なものへと還元しようもし、そのことは『共産党宣言』にも記されている。中島義道先生の哲学は、岡本太郎の芸術論と同様にその枠内に収まっており、だから「古い」のである。
私自身も、実は自分でも知らぬうちに左翼思想に絡め取られた結果「非人称芸術」を主張すたのだが、いまやそう言った「古い」思想から脱却することができたのである。
左翼思想は産業革命以降急速に進歩した文明に対する「反動」として存在する。確かに産業革命は行き過ぎた面があり、例えば初期には子供たちを工員として奴隷のように労働させていたのである。
文明以前の「原始」の再発見は大航海時代の成果の一つである。それは子供が持つ「純粋さ」の発見とも繋がっている。だがしかし、それを人間の基盤に据える思想はファンタジーでしかない。つまりこの思想は、人類が積み上げて来たものを「不純物」として否定しているのである。
このように書き出してみると、自分の中にまだ左翼思想的な感覚が残留していることが分かる。これは悪しきものとして除去すべきであると同時に、良きものへと転化することもまた可能なのである。