アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

動物と想像界

 この鳥(駒鳥)が赤い胸羽を示すことは縄張りの主張であり、この赤い胸羽を見せるだけで、相手に或る行動を引き起こすことが観察されています。赤という色は、この場合、想像的機能をもっているわけです。

この想像的機能が、了解関連という次元へと翻訳されてしまうと、この赤い色が、相手がそれを見ると、相手自身の中に敵意や怒りという感情的、直接的なものを引き起こしたのだろうということになってしまうのです。

この想像的機能が、了解関連という次元へと翻訳されてしまうと、この赤い色が、相手がそれを見ると、相手自身の中に敵意や怒りという感情的、直接的なものを引き起こしたのだろうということになってしまうのです。

#ラカン 精神病(上)p14

 

最後に、赤い車を象徴的な次元で理解できます。すなわち、トランプ遊びの中での赤いマークを理解するように、つまりただ黒と対比されるものとしてだけの意味で理解するように、あらかじめ組織化されているランガージュの中で何かに対比されるものとして理解することができます。

#ラカン 精神病 p14

 

 

私は「天才」と言いました。そうです。フロイトには真の天才があります。しかし、それは直観的洞察にはいささかも負うていません。それは一つのテキストに幾度も同じ記号が現われるのを見て、それは何かを意味しているに違いないと考えることから出発して、その国語のすべての使用法を再構築する言語学者の天才なのです。「空の鳥」を「若い娘」のことだと考えるといったフロイトの並はずれたやり方はそのような現象の一つです。#ラカン 精神病 

 

ラカンが著書『精神病』で珍しく「想像界」「象徴界」の定義を示している。まず翻訳書にあった「駒鳥」は日本のコマドリではなくヨーロッパコマドリの事で、イギリスでは「ロビン」の名で親しまれている。

 

ヨーロッパコマドリは縄張りが強い上に攻撃性が高く、ラカンが記したように胸の赤色がトリガーとなって喧嘩が始まり、時として洗濯物の赤色にも反応して攻撃を仕掛けるそうである。ラカンによるとこの赤色がコマドリに攻撃のイメージを喚起させるのである。

 

ラカンのこの記述に従ってイメージとは何か?を考えると、私がTwitterで度々リツイートしているイヌやネコをはじめとする動物の動画を見て、その動物が何を感じ、何を思っているのかが直感的に理解できるという、そのイメージが「イメージ」なのである。

 

ラカンの記述によると、鳥や獣などの動物は想像界を生きているのだろうか?言語を持たない動物は象徴界を持たない。従って言語を持たない動物は、様々に喚起されるイメージの世界を生きている。しかしギブソンによれば、それはアフォーダンスなのである。