アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

「もの」と無意識

 マルクス唯物論も、唯物論が根拠とした近代的科学思考も、フッサールが「科学者の素朴さ」を批判した時点で本質的には終わっている。

 

20世紀はじめにフロイトが無意識の存在を発見し、ソシュールが言語の構造を明らかにしたことと、20世紀半ばにワトソンとクリックによって生物の遺伝子が発見されたことは無関係ではない。つまり人間言語に先立ち、生物の身体形成に関わる遺伝子という「言語」が存在していたのだ。

 

ところで岡本太郎は日本で「もの派」が生まれる以前に芸術における精神論を説いたのではなかったか?しかし岡本太郎がいう人間の純粋な精神は、文明化する以前の原始へと還元しているのである。

 

それはマルクスの『共産党宣言』冒頭にもあるが、マルクスこそが人間の「純粋な精神」なるものを、文明化する以前の原始の人間という「もの」へと還元している。

 

岡本太郎は「人間はものではない」と述べながら、その実、自分を含めた人間を「もの化」して捉えていたのではないだろうか?つまり「もの」は使用するうちに消耗して使用不能になるのである。それで岡本太郎的な「才能論」に従って製作すると、アーティストはやがて消耗して自己模倣に陥るのである。

 

赤瀬川源平さんはどうなのか?赤瀬川さんは『桜画報』の時代は左翼の旗手だと期待されたが、本人は興味が無くなったとして左翼とは関わらなくなっている。その後、赤瀬川さんは不思議と「もの派」の存在に言及せず、お陰で私は「もの派」の存在を認識するのが遅れてしまった。

赤瀬川さんは『桜画報』の時代からウィットに富んだ仕事をされており、そのようなセンスによって「超芸術トマソン」の概念も産み出されたのだと言える。しかし赤瀬川さんは本来的に学問的な方ではなく、フロイトもおそらく読んでおられないように思える。

 

つまり赤瀬川さんは無自覚的に「集合無意識の端末」として作動し、そこから独自のウィットが生じたのであるが、それは自覚的な学問ではなかったが故に徐々に消耗し、晩年はすっかりワンパターンになり私はそれに失望して、結局赤瀬川さんとはお目に掛かることがなかったのである。

 

かつての私はあらゆる人工物を「非人称芸術」へと還元しようとしたが、正しくは芸術作品を含むあらゆる人工物を集合無意識に還元して捉えなければならず、それをすることにこそ意味がある。

 

私自身は日本のいわゆる「戦後後遺症」の煽りでだいぶ寄り道をして遠回りしてしまったが、目指す方向自体はそれほど間違っていなかったようで、それまでの歩みも無駄ではなかったの言えるのかもしれない。

 

現代人の多くは、もちろん私もだが、世界を物理法則を基盤として身過ぎている。しかしポスト近代である現代において、そのような世界の見方はもうとっくに「古い」のである。ポスト近代においては、まだまだメカニズムが解明されていない「無意識」を基盤に世界を見なければならない。