アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

短絡と認識

ネルソングッドマン『芸術の言語』によると、絵画は、つまりは写真は、対象物の再現ではなく、対象物への「指示」である。何も写ってない写真とはなんの指示もない写真であり、だからこそ「芸術」と誤解されるのである。

確かに人間がその肉眼で現実を見るときも、実は「現実そのもの」ではなく、指向性に従って指示された反射を見ている。というのも同じ現実を目の前にして、動物種によって「何が見えるのか」が違うし、それは同じ人間同士でも異なっているのだ。

人はなぜ「写真は現実の再現である」とか、「自分は現実そのものを見ている」などと誤解をするのか?それは、そのように言語的な「短絡」がなされているのであり、かつ実生活に支障がないからである。言語には実生活を円滑にするための「短絡」の機能がある。

あらゆる動物は、種に応じた短絡的認識機能を有している。しかし本能の大半が失われた人間は、この生存に必要な短絡的認識機能を、「言語」を使って自前でプログラムできる。従って言語には、本質的に短絡の機能が備わっている。

絵画における遠近法は、その絵画の「正確さ」の現れではなく、その絵画に投入された「知性」を表している。従って、機械的に遠近法が描写される写真において、遠近法そのものが「知性の現れ」と受け止められることはない。