アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

可視化とマネージメント

 ●売れているアーティスト、人気のアーティスト、社会的ステイタスの高いアーティストは、マネージメント力が高いのです。作品の良し悪しは全くの別要素で無関係です。

イマイチ売れないアーティストは、作品のレベルではなく、マネージメントのレベルがイマイチなのです。

マネージメント力の一つは「可視化」です。実は、優れた芸術は常識及び通俗の外部を目指すため、多くの人々にそれとして認識されないのです。この意味で芸術は本質的にマネージメントと相反します。マーケティングとは常識化、通俗化、大多数の人々に対する可視化です。

可視化とは時間経過でもあります。時間を経ればどれだけ前衛的な芸術であってもやがては常識化し、通俗化し、大多数の人々に対し可視化されます。もちろん全ての芸術がそうであるとは限らず、また何百年、何千年間も不可視であったものが突然として可視化されることもあるのです。

進歩あるいは進化とは時間経過に伴う直線運動です。一方、常識および通俗とはトートロジーであり円環運動です。直線運動から円環運動への遷移が、前衛芸術の通俗化であり、可視化です。

山本七平が言う商業軍国主義や商業共産主義があるように、商業芸術至上主義も有りうるのです。つまり、偽物は偽物であるが故に本物以上に本物らしく、同義反復的に振る舞うのです。

●裏切り者は、実のところ常に二重の裏切り者なのかも知れません。裏切り者は裏切りを重ねるのです。嘘つきは嘘を重ねるのです。真理の追求が歴史的に積み重ねられることに対し、反転しているのです。

●自尊心の根拠はどこにあるのでしょうか?それは無根拠です。いや無根拠を迂回した同義反復です。自分が尊い存在であることの根拠は、自分が尊い存在であることにあります。

自分に価値があることの根拠を、自分に価値があることに置く人は、同義反復の根無し草です。だとすれば、どこに根ざすべきなのか?

潔癖な芸術至上主義者は生物学的に脆弱で不完全です。