アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ユーザー・ブリコルール・エンジニア

認識論的に言えば、人はユーザーと、ブリコルールと、エンジニアとに分かれる。ユーザーは一般常識に対し疑いなく従う人々。ブリコルールは常識をベースに工夫を施す人々。エンジニアは常識を疑い根底から覆そうとする人々、というふうに整理分類できる。 ユ…

視覚と動き

知覚についての覚書。動物の知覚は動いている対象物と、動かない環境とをどのようにして判別するのか?動物が自分の体を移動させると、それに連動して視覚情報も変化する。自分の体の動きと、視覚情報の変化が「連動」している場合、その視覚情報は「動かな…

卓越したエンドユーザー

現象学的に言えば、全ては自分の主観のうちに生じた現象であるが、他者にもまた自分と同様の主観を有し、その主観にもまた同様の現象が生じているように、自分の主観のうちに現象している。 これは人間以外の動物も同様で、動物個体はそれぞれに主観を有し、…

認識と時間

時間とは何か?あらゆる認識は、時間を介することによって成立する。認識とは関係の認識であり、時間を介さなければ関係の認識は成立しない。 光についてその強弱だけを認識する単純な生物がいたとして、その生物は光の「強」と「弱」の関係を時間を介して認…

生活世界とインターフェース

生活世界は確かに存在する。生活世界は氷山の一角で、 見えない海中の氷山にはどのような世界が存在するのか?…何れにしろ生活世界に埋没する限りそれが世界の全てだと認識され、生活世界そのものを対象化されることはない。従って生活世界そのものの存在を…

言語によらない象徴作用

人間以外の動物は言語を介さずに世界を認識する。動物は言語以外の方法によって、世界を象徴化して捉える。動物にとっての環世界は、種に固有の身体によって捉えられた様々な象徴の関係によって成立している。 現象学的に考えれば、人間にとって言語によって…

言語による認識と、言語によらない認識

人間は言語によってのみ認識しているのではない。人間は言語による認識と、言語によらない認識とを併用している。言語によらない認識とは何か?と言えばこれは言語によらない象徴作用であり、動物的な象徴作用だと言える。 言語によらない象徴作用とは何か?…

具体性と象徴性

具体性とは何か?もしかすると具体性なるものは存在せず、我々は象徴性と具体性とを取り違えているだけなのではないか? 例えば、目の前に見える風景を写実的な具象画として描こうとする場合、目に見えるもののそれぞれを改めて象徴化して捉えなおさなければ…

言語・象徴・具体

言語を使う人間と、言語を使わない動物の差は何か?言語を使わない動物より、言語を使う人間の方が環境の利用率が高くなる。人間が環境に存在するあらゆるものに名前をつけることによって、そのものが利用可能になる。 ヒトの言語はウグイスのさえずりのよう…

ユーザーとブリコルール

レヴィ=ストロースはエンジニアとブリコルール(器用人)とを対置させたが、他にエンジニアの対立概念としてユーザーを置くことができる。そう考えるとあらゆる生物はユーザーであり、ユーザーとは生物としての本質だと言える。 例えばカエルという生物は、…

言語とオーバーテクノロジー

リバースエンジニアリングをするには自分もエンジニアでなければならない。エンジニアとは何か?その人は物事の原理を知っている。原理とは何か?原理とは理屈であり理屈とは言語である。原理を知るエンジニアはエンジニアリングとしての言語とは何かを知っ…

専門家と評論家

もし、自分で料理を作らない料理評論家がいたとして、この人は専門家と言えるのか?専門家=エンジニアと定義するなら、料理を作らない料理評論家はエンジニアではなく専門家とは言えない。 だから料理を作らない料理評論家の評論は「美味しい」「不味い」「…

エンジニアリングとブリコラージュ

リバースエンジニアリング(Reverse engineeringから。直訳すれば逆行工学という意味)とは機械を分解したり製品の動作を観察したりソフトウェアの動作を解析するなどして製品の構造を分析し、そこから製造方法や動作原理、設計図などの仕様やソースコードな…

客観と類

常識を基盤とした思考と、常識の基盤とは何かを思考する思考とがある。 言語は自分で作ったものではなく、自分が生まれる以前から存在し、他人から教わるものである。 他人から教わらなければ、自分にとって言語は存在しないし、言語を言語として機能させる…