2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧
写真家を含むアーティストで、ステイトメントが書けなくて悩んでる人は、結局やろうとしていることが曖昧で不明確なのが原因なのかも知れません。もちろんアートの場合、言葉に表した通りの作品を作っても、それもつまらないものになりますが、だからと言っ…
○戦うことを選ぶのが、きわめて勝ち目の少ない策のように思われるようなばあいでも、勝つ可能性は残されている。ところが退却のほうを選べば、どちらにころんだところで、その戦いは敗北にきまりきっている。#マキャヴェッリ 政略論 ○君主は、自分の威厳を損…
ヴァンだ一成さんに「ヘヤーインディアン」の存在を教えてもらいましたが、検索すると下記のブログがありました。 ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」-感謝の心を育むには 驚くべき事に、ヘアーインディアンの言語には「教える」「教わる」という言…
○人民というのは、自分に関連する事物を概括的に把握しようとするときに誤りを犯しやすいものであり、逆に個々の具体例に即して考えをすすめていきさえすれば、そんな誤りを犯すはずもないものなのである。#マキャヴェッリ 政略論 ○人間を迷夢からさまさせよ…
○人はけっして自分の心の奥底をさらけだしてはならないのであって、ありとあらゆる手段に訴えても自分の目的をかなえるように努力しなければならない。従って一人の男から武器をとりあげようとする時でもその男に前もって「とりあげたその武器でお前を殺して…
『幼児の絵の見方』岡田清著1967年創元社刊、と言う古い本をたまたま読んだのだが、実に興味深い内容で、特に冒頭の主張は岡本太郎『今日の芸術』にそっくりなのである。 https://www.amazon.co.jp/dp/4422710028 『子供の絵の見方』(1967)冒頭の「子供の絵…
マキャヴェッリによると、人間の元来の性質として猜疑心と嫉妬心が強い。故に例えば将軍が国のために命をかけて戦って勝利しても、その将軍に満足な褒美を与えないどころか追放してしまうような例が、歴史的に度々見られる。 王は国のために立派な働きをした…
闘争からクリエイティビティが生じる。闘争が大規模化することはクリエイティビティが大規模化する事と同意であり、それが近代だと言える。闘争を避けるためにはクリエイティビティを低下させるのが一つの方法であり、それが現代日本の写真を含むアートの状…
7月9日 うっちぃ@この世すべての強欲(志望)@YinfinitY 「構造主義」を誤解していた: 反省芸術・糸崎公朗blog3 http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/212835/204678/14773379…わかりやすかったのだが、そもそもこの解釈が合ってるのか僕には判定できないので…
昨日で終了の『切断芸術運動展』隣で開催されてた『エピクロスの空き地』展のチラシにどこかで読んだ言葉が引用されてると思ったらエックハルト『神の慰めの書』で、私はヴァンだ一成さんに借りて読み「離脱」の言葉に感銘を受けた筈が忘れていて、これを思…
【告知】上野の国立西洋美術館にてワークショップを開催します。 C創作・体験プログラム①「フォトモで楽しむ本館」参加者が撮影した本館の写真を、講師の制作技法にならって立体に作り上げます。*観覧券が必要です。日時:7月22日(土)10:00~17:00講師:…
芸術とデザインの違い、というものが自分にはよくわかっていなかったのだが、芸術とデザインでは「善」のあり方が異なっている。デザイン的な善とは「隣人愛」であり、その場合の隣人とは「目の前に存在する具体的隣人」を指すのであり、普遍的な意味での隣…
●芸術家には「材料への感覚」が要求されるわけで、この感覚の鈍い芸術家は、選択した材料を的確に使用することは出来ないし、それを作品の全体性に有効に活かすことはとうてい出来ない。#芸術への道 ●芸術はいつもその意味内容のためにこそ成り立って来たの…
●芸術は、自然と対置されても確固たる存在を主張するものでなければならないが、それは自然に対して固有な何かを意味してはじめて可能になるのだ。#芸術への道 ●自己の作品を前にして動揺する画家の姿は洋の東西を問わず真に芸術家のものだ。だから彼らは二…