アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

子供と学び

「子供の感覚を大切に」よく言われる意味での「子供の感覚」とは何でしょう?私の個人的経験で言えば、私の味覚が母親によって教育されていた事の意味が、最近になりあらためてわかってきたのです。私の母親はまずい料理に対し文句を言う人でしたが、子供の…

俗物と哲学

中島義道『哲学の教科書』、今は講談社学術文庫ですが、最初の単行本が1995年刊行で、哲学に興味を持ち始めたその頃に私も読んだはずです。これをあらためて再読してみました。 Amazon.co.jp: 哲学の教科書 (講談社学術文庫) 電子書籍: 中島義道: 本 物事の…

崇高と現実界

中島義道先生の本も『生きにくい…私は哲学病』が本棚に残っていてその冒頭だけ読み返してみたのですが、改めて気付いたのは中島義道先生は哲学を《現実界》に還元しているという事です。《現実界》とは科学の領域でもあり、そして中島先生は哲学を他の「科」…

自明とブリコラージュ

近代になると、人が住む環境が猛烈な勢いでかつてなかった規模の「人工物」で埋め尽くされるようになり「芸術」が相対化されます。また工業技術の発達に伴い「つくること」の最高峰であった芸術の価値も相対化され、これによって様々な錯誤が新たに生じるの…

前衛と野蛮

改めて納得したのですが戦後日本の「前衛芸術」は「前衛」の名の下に原始に回帰していて、「前衛」と「原始」が取り違えられているのです。この問題は私も無関係ではありません。 例えば、1960年代から1970年代初頭にかけて活動していた前衛パフォーマンスア…

精神と料理

私は写真家であり美術家ではあるのですが、どういうわけか美術作品の良し悪しの判別よりも、食べ物の美味い不味いを判別する方が自信があるのです。いや以前は自分の「審美眼」にもある程度の自信はあったのですが、改めて美術の勉強をする毎にその自信は失…

死者と意識

自分の目に映るものが何であるか?は解釈の問題であり意識の問題だと言えます。自分の目に見えるものが何であるか?は自分の意識が決定し、意識の作用によって目に見える世界に「そのもの」が創造されるのです。自分の目に見える世界の秩序は、外光の反射と…

現代思想と評論家

高田明典さんの本は昔はよく読んだのですが、改めて検索すると下記のインタビュー記事があり、そこでの肩書きが「現代思想評論家」とありちょっと驚きました。 http://www.47news.jp/hondana/seijirekkako/article/19.html 「現代思想評論家」とは何でしょう…

芸術と信仰

「鰯の頭も信心から」とは、つまりは「芸術でないもの」が、信心によって「芸術」になり得るのか?という問題でもあるのです。 芸術とは何か?ひとつには「自分が芸術だと思ったものが芸術だ」ということなのであれば「芸術でないもの」に対し、自分が「これ…

信仰とイデオロギー

観念の体系であるイデオロギーには、特有の創造力が備わっています。イデオロギーに備わる創造力は特有のもので、その意味での限界があります。 「鰯の頭も信心から」がイデオロギーに特有の創造力です。イデオロギーの力によって「鰯の頭」が「神」に変わる…

4月2日『第160回新宿・彦坂ITOSAKI塾』のお知らせ

他の仕事に追われていて、私からの告知が直前になってしまい申し訳ありません。 明日4月2日開催の『第160回新宿・彦坂ITOSAKI塾』のお知らせです。 詳しくは彦坂尚嘉塾長のブログ記事をご覧下さい。 41jigen.blog12.fc2.com 4時限の18:00~19:30は、彦坂尚…