アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧

リア充とキョロ充

■リア充 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EA%A5%A2%BD%BC実際の現実の生活(リアル生活)が充実している人間のこと。 恋人や友人付き合いに恵まれるサークル活動や飲み会へ参加するオタク以外の趣味を楽しむ2ちゃんねるの大学生活板やVIP板のような、ネッ…

直感と明証性

原理的に直感可能な世界としての生活世界ー原理的に非直感的な「論理的」構築としての「客観的に真の」世界(フッサール) 例えば三角定規という具体的存在は、つまり生活世界に属する三角定規という存在は、具体的に直感し、現実に経験出来ますが、純粋に真の…

直接知覚と記憶

不思議なのは、「直接知覚」は「今」においてしかありませんが、しかし「今」という一瞬の直接知覚だけでは知覚も認識も成立しない、と言うことです。例えば目を閉じて瞬だけ目を開けてまた閉じる…それで何が認識できるかを確認すると、ほとんど何もわからな…

予定説と気象説

今日は雨です。気が滅入ってやる気が出ません。このように、人間の感情や意志は気象の影響を受けます。気象の影響を受けるものもまた気象です。「気が滅入る」「やる気が出ない」などと私が感じるように、「私」とは気象の観測装置であり、それは「私」とい…

第39回芸術分析塾ラカン  11月29日(土)予告

第39回芸術分析塾ラカン 第39回芸術分析塾ラカン 11月29日(土)予告 《野蛮》には、2種類があります。●本物の欲望全開のバカ丸出しの《野蛮》□《野蛮》に見えるけれども抑制を通した野蛮そのサンプルです。 両方ともスラッシュ・メタルですが、大…

民芸とは何か

トマソン観測センターの飯村昭彦さんが「超芸術トマソン」に当てはまらないカテゴリーとして「超民芸」を提案されてます。http://urx.nu/eqnh 私は実は「民芸」が何なのかよく知らなかったのですが、改めてウィキペディアで調べて驚きました。民芸の概念は大…

第38回芸術分析塾ラカン 11月22日(土)予告

第38回芸術分析塾ラカン 11月22日(土)予告 野蛮の時代になっています。いつからこういう時代になったかは、色々な意見があると思いますが、分かりやすいのは1991年のインタネットのwwwの登場からです。野蛮なアーティストは、自分の生まれつきの本能だけで…

意志と気象

人間の感情や意志の動きは、地球の大気の動きと同じようなもので、自転による日照の差や、地形のあり方などによって生じるものです。「自分」とは、気象観測装置のようなものです。「プライドが傷ついた」「屈辱を受けた」などと「自分」が思うのは、その地…

禁酒と哲学

私は2012年10月からずっと禁酒してるのですが、その目的の一つは「哲学」をする為です。とはいえ特に難しい事ではなく、哲学とは自分が拠って立つ「常識」の解体作業で、実のところ酒を飲んで酔っ払うと誰でもそんな状態になるのです。しかし酒の酔いはやが…

感情と気候

311以降、私も日本人にはとことん絶望しています。私は日本人ですから、自分にも絶望しています。 自分に絶望していると言いながら、その実絶望が足りないのです。もっと深く、とことん自分に絶望しなければならないのです。絶望の深さは認識の深さです。絶…

「今」と記憶

素朴な感覚で「外部世界」と思えるものは心的領域に生じた《現象》です。とすると素朴な感覚で「心的領域」と思えるものは何か?反省して考えるならば、純粋に直接に「外部世界」として知覚し体験できるものは連続する瞬間である「今」だけで、「今」は直後…

現象と写真

写真は自分の外部世界を写すものだと思っていましたが違いました。現象学的に捉えれば、素朴な感覚で外部世界と思えるものは、自分の内面に生じた《現象》だからです。ですから写真は自分の内部に生じた《現象》を写すもので、だから写真にはそれを撮った人…

哲学と分岐

どれだけ高度で難解な理論も、問われることのない前提を使用している限り、砂上の楼閣に過ぎません。 人間のあらゆる知的活動、および精神的活動は、哲学の分岐として存在します。ソクラテスや孔子が、政治が哲学から切り離されていることを嘆くのは、その意…

現象とイメージ

徹底した世界観察とは、自己自信を外に「外化する」主観性の、体型的で純粋な内部観察なのである。(フッサール) 現象とイメージは何が違うのでしょうか?イメージの根源の一つは嘘話です。嘘は言葉と発生と共にあったと考えられるからです。嘘話は《現象》の…

世界はあらかじめ存在する

世界は誰にとってもあらかじめ存在する、と言うことは考えてみればスゴイことで、これを「当たり前」と片付けてしまっては、前に進むことなく地面にめり込んだままです。 現存する写真家にとって「写真」と言うものは、自分が生まれる以前にあらかじめ存在し…

模倣と複製

世界は自分にとって、あらかじめ存在しています。世界にはあらかじめ他人が存在し、世界はあらかじめ他人が作ったもので埋め尽くされています。自分は他人の模倣をすることで、自らが他人の一員となり、世界の一部となります。 生物とは複製品です。カマキリ…

偶然と呪術

●優れた他人が存在するから、自分は劣ったままでいいのです。他人が劣ったままでいるから、優れた自分にならなければいけないのです。 優れた他人を注意深く観察してこれを認め、劣った自分を注意深く観察し、劣ったままの自分でありつづけることが実に重要…

クローンと他人

そもそも、人は幸福を追求すべき存在なのでしょうか?フッサールの師匠のブレンターノによると、人間は「善」を追求すべき存在であり、幸福はその付属物でしかありません。「善」という概念はヒトが群体生物であることを前提に、各ユニットとしての振る舞い…

TOURI ASSOCIATION美術展■ITOSAKIの祭典■

TOURI ASSOCIATION■■ 美術展 ■■ ■ITOSAKIの祭典■ 糸崎公朗と海野和男のコラボレーション作品 「昆虫フォトモ2014」 東京都写真美術館での企画展『日本の新進作家 VOL.12:路上から世界を変えていく』で飛躍した糸崎公朗の新展開は、昆虫フォトモです。昆虫写…

「自分」が存在しない証拠

「独我論」という考えがありますが、自分だけが存在し、他人は存在しないのではないか?という問いです。これを逆に考えるのです。つまり他人だけが存在し、自分は存在しないのではないか?という問いです。 自分の存在は「自明」ですが、あらゆる自明は「超…

第36回芸術分析塾ラカン 11月8日(土)予告

第36回芸術分析塾ラカン 11月8日(土)予告 《彦坂尚嘉の言葉》 芸術は人間の脳の構造と、その使い方に、深く結びついています。 原始脳と理性脳は、2つの間に隙間があった、両方は鏡の構造で関係しています。 原始脳にある自分の欲望は断念せずに、理性脳…

生活世界と超訳

純粋な知覚としてみても、物体と身体とは本質的に区別されている。(フッサール) 知覚として現れる「現象」として、物体と自分の身体とが区別されます。現象として、そこに断絶があると、直感出来るのです。 自分の身体が物体とは異なるものとして現象してい…

世界と類推

我々は「世界の存在が前提されている世界」に囚われています。つまり我々は、自身が囚われの身である事を認識できず、それだからこそ「囚われの身」であるのです。 「前提」とは鉄格子です。その先に世界が広がっているかの如く見えますが、その「見えること…

難解とマジ

●阿部謹也『「教養」とは何か』を読んでます。だいぶ前に買ったのを読めないでいたのです。その前著『世間とは何か』も買ったまま読めないでいたのですが、本棚から出てこないのて取り敢えずこっちから読んでますが、なかなか面白いです。 個人・世間・社会…

恐怖と類型

人間は臆病で、世界は恐怖に満ちています。 臆病さは魂の縮小を生じさせます。魂の縮小は思い込みの強さと頑なさを生じさせます。その結果、類型化されたオリジナリティが生じるのです。 世界に対する恐怖は人々に類型化をもたらします。人々は同じものを恐…

第35回芸術分析塾ラカン 11月1日(土)予告

第35回芸術分析塾ラカン 11月1日(土)予告 《彦坂尚嘉の言葉》 芸術は呪術ではありません。 呪術への退化は不幸を招きます。 自分の欲望は断念せずに、覚醒して幸福になること。【ニュース】《個人のための芸術分析ワークショップ》が始まって、今週は5回目…