アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

民芸とは何か

トマソン観測センターの飯村昭彦さんが「超芸術トマソン」に当てはまらないカテゴリーとして「超民芸」を提案されてます。http://urx.nu/eqnh 私は実は「民芸」が何なのかよく知らなかったのですが、改めてウィキペディアで調べて驚きました。民芸の概念は大正15年以前には無かった!

民芸の概念は、柳宗悦を中心とする「民芸運動」の産物で、これは大正15年に始まっています。今の我々が当たり前のように使っている「民芸」の言葉は、ほぼ昭和以後の新しいもので、こんなことも知らなかったのかと我ながらショックを受けてます。いやショックなのはトマソンと民芸との関係の深さです。

民芸運動ウィキペディアによると「それまでの美術史が正当に評価してこなかった、西洋的な意味でのファインアートでもなく高価な古美術品でもない、無名の職人による民衆的美術工芸の美を発掘」ですが、私の「非人称芸術」はまさにこの系譜ですが知らずに引き継いでいたという日本的方法の典型を示してました。

「民芸」そのものは江戸時代の昔からありましたが、「民芸」の言葉とのその概念は1926年以前には存在せず100年も経っていないのです。そしてそのことを多くの人は忘れている。忘れるということは、勉強しないということで、私も例外では無かったのです。

柳宗悦が民芸と並んで名付けた「民画」は、さらにダイレクトに現代の路上観察学に、そして私が提唱する「非人称芸術」に結びついています。http://ln.is/urx.nu/i8rvw つまり、例えば「街中のヘンな看板」と言ったものは実のところ「民画」に他ならないのです。

そもそも私の言う「非人称」とは民芸や民画の「民」に対応しているのです。「民」と言われる人はインターネット上の振る舞いを見てもわかるとおり、匿名的に、それゆえ非人称的に振る舞うのです。匿名による面白さが「2ちゃんねる」にあり、それは民芸や民画や私の言う「非人称芸術」に共通してます。

確認すると「考現学は1927年(昭和2年)今和次郎が提唱した学問」とウィキペディアにあり、柳宗悦民芸運動の1926年とほぼ同時期です。しかし赤瀬川原平さんはじめとする路上観察学会考現学には触れても民芸運動には一度も言及しなかった。なぜかと言えば路上観察学会は学問に似せたネタだからです

赤瀬川原平さんをはじめとする路上観察学会は、人々が面白がるネタを提供してたのであり学問をしていたわけではありません。別な見方をするとそこには学問的な面白さはありません。私はネタにマジレスした割には、自分にも学問の基礎が無かったのです。

私に学問の基礎が欠けていたのは、一つ前のブログ記事に書いた「気象」のせいです。私が最近になって自分に学問が欠如していることを反省してるのは、「私」という観測点に、これまでとは別の気象現象か発生し、その観測結果が態度に反映されているのです。言わば「人間気象説」です。気象についても勉強しないといけません。