アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

民芸運動とサブカルチャー

「民芸」という言葉は手垢がつきすぎてよくわからなくなっているが、柳宗悦による「民芸運動」というものがあったのである。民芸というのはカルチャーに対するサブカルチャーであり、サブカルチャーをカルチャーと認めさせる運動だったと言えるかもしれない。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/民芸運動

民衆の文化は確かに存在し、これを認めて保存する必要があるのかもしれないが、これはあくまでカルチャーに対するサブカルチャーに過ぎない。

するとカルチャーとは何かと言えば、運慶展で見た運慶の作品がまさにそうで、これは日本独自の文化というだけではなく、古代ギリシャから通じる写実彫刻の流れを明確に受け継いでいて、なおかつその発展として究極の作品たり得ている。

つまり文化とは古代メソポタミアを唯一の発祥として、全て繋がっていると捉える視点から、サブカルチャーとはことなるカルチャーの視点が生じる。

カルチャーとは伝統で、サブカルチャーとは非伝統である。伝統とは何か?と言えば、先人の単なるコピーでは無い。コピー品はオリジナルより劣るが故に伝統を引き継いだとは言えないのである。

伝統と革新は対立概念ではなく、伝統に基づく革新と、伝統を否定した革新とがある。しかし、実は伝統に基づかなくては革新はし得ない。伝統という踏み台に登るからこそ、その上の革新があり得る。

伝統を否定した革新は、踏み台の否定であり、必然的に原始状態に立ち戻ってしまう。伝統を否定した現代アートが原始美術に接近してしまうのはそのためである。

マキャヴェッリによると、革新は伝統に立ち返ることなのである。伝統は、代々引き継いでいるうちに必然的に劣化する。初心が忘れられ、劣化コピーが繰り返され、伝統を引き継いでいるつもりで本質が失われてゆく。そこで革新を引き起こし、伝統に立ち返る必要が生じてくる。

伝統とは梯子を一段ずつ登ってゆくような運動である。運慶の彫刻が凄いのも、古代ギリシア以来の伝統を踏まえながら、それを何段飛びにも進化させているところが素晴らしい。日本という地は文明伝播の最期のどん詰まりの地で、そのような奇跡が度々生じるのである。

マキャヴェッリ的に言えば、伝統の否定には二つの違った意味がある。一つは伝統と言われてはいるが、実質的に伝統では無いものの否定であり、その意味において真の伝統に立ち返る革新をもたらす必要がある。もう一つは伝統そのものの否定で、それは全ての文化的蓄積の否定の意味での革新である。

「全ての文化的蓄積の否定としての革新」には独自の魅力がある。それは安易な方法の自己肯定と結びついている。安易とは効率の良さであり、これが近代特有のスピード感と結び付いている。伝統を受け継ぐには時間をかけた修行が必要だが、伝統を否定するのに時間は不要なのである。

伝統の否定の優越性は、一つには伝統に対するスピードの優越性である。これに多くの人々は酔っているのではないか?私の「非人称芸術」もまさにそれであったのである。

しかし実際に伝統の否定は、新しいものを何も生み出さない。なぜなら高く積み上げた梯子を否定して、皆同じように地べたを這い回っているに過ぎないのである。梯子の高みと比較して、地べたを這い回ることはずいぶん違って見えて、それが「新しい」と錯覚されるに過ぎない。

柳宗悦民芸運動は、梯子の高みを目指したものではない。途中まで登った梯子からふとしたを見下ろしたら、見たこともない世界が広がっていて、それに心を奪われ梯子を降りてきてしまったのである。そして、地べたから梯子の上を見上げながら、こちらの方が革新であると主張しているのである。

岡本太郎の芸術論は、ある意味で柳宗悦民芸運動を引き継いでいる。岡本太郎は伝統を否定し、地べたに降り立って原始的な絵を描きながら「前衛」と称している。一方で太郎の母であるかの子は、伝統の梯子を登ることに使命を感じ、一方で子育てを疎かにし、子供(太郎)の怨みを買うのである。

伝統とは梯子というより登り棒のようなもので、ただ捕まっているだけでは重量に引っ張られて徐々に下がってしまう。だから常に意志を持って上昇してゆがなければならない。この重力に耐え切れない者が地べたに降りて、泥んこ遊びに興じるのである。