アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

第181回芸術分析塾ラカン 11月24日(木)のお知らせ

*彦坂尚嘉先生のブロク記事の転載です。私も講師として参加します。 http://41jigen.blog12.fc2.com/blog-entry-1868.html 予告が間際になって、申し訳ありません。24日は、改装なった東京都写真美術館と、MISA SHIN GALLERYでの篠田太郎の個展を鑑賞しま…

純粋と自由

小学校では、誰かが先生が帰ってしまったと言うと、子供達はわっと躍り上がって秩序を失ってしまう。子供の一人一人が先生がいると言う威圧感から逃れ、貴族という重荷を投げ捨て自由に振る舞い、自分が自分の主人になったのだと感じる喜びに浸るのである。 …

世論と支配

侵略と異なり、支配は権力の正常な行使であり、それは常に世論に支えられている。とオルテガは述べています。支配は世論が支持しているのであり、世論の支持なくして支配は行えないのです。我々日本国民も、日本国家によって自らが支配される事を支持してお…

猫は猫の専門家

自明性とは相続物です。自分が能動的に獲得したのではなく、受動的に与えられた豊かな相続物が自明性です。 「慢心しきったお坊ちゃんの時代」とオルテガが『大衆の反逆』に書いている通り、現代文明においては我々大衆を「目に見えない召使い」達が取り囲み…

文明と反自然

文明とは「力」であって、文明の力は自然の力と拮抗しています。文明の力が強い所では自然の力は抑制され、文明の力が弱い所で文明は自然の力に圧倒されます。文明の力が強い所とは一つにはアングロサクソンの地であり、これと比較して中国は文明の力が弱く…

文明と妄想

そもそも私のいうところの「非人称芸術」なるものは、果たして本当に存在しうるのか?実に「非人称芸術」の言葉に含まれる「芸術」とは、「自明の芸術」を意味していたのです。つまり自明性という緩い地盤に堅固な建築を建てようと試みる事は、愚かで無意味…

自由と好み

人は一般に自由を欲しますが、しかしあらためて考えてみると、われわれ大衆は、決して「無制限な自由」を欲しているわけではありません。プラトンは「自由人」と「奴隷」の区別を書き記していましたが、現代の大衆はもちろん奴隷ではなく、かといって完全な…

大衆と『野生の少年』

www.youtube.com フランソワ・トリフュオー監督『野生の少年』を観ましたが、大変な名画でした。実に、現代を生きる多くの人は「野生の少年」であって、自らの中に「野生の少年」を発見した者だけが、彼に対する「教育」を試みることができるのです。 実にこ…

オルテガの『大衆の反逆』

オルテガの『大衆の反逆』を再読しているが、「社会」とはそもそも「貴族的なもの」であり、「貴族」とは社会に対して能動的に関わろうとする人を指す。対して「大衆」とは社会に対して受動的に関わろうとするのであり、だから常に責任を回避しようとし、歴…

Googleとフォトモ

久しぶりGoogle earthを見たのだが、地方都市である青森市までフォトモのように3D化されていて、驚いてしまった。建物の一つ一つを、写真を元にした3Dに変換する技術はまさに「フォトモ」だが、これを独自のアルゴリズムによって自動的に行う点が、私のフォ…

非人称芸術と共産主義

坂口安吾『堕落論』『続堕落論』、短いエッセイなので青空文庫で読んでみたが、岡本太郎の芸術論とも、椹木野衣の「戦後リセット論」とも共通点があり、その両方のベースとなったと思わせるものがある。 『堕落論』とは一種の原理論で、その原理を人間の原始…