アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

自由と好み

人は一般に自由を欲しますが、しかしあらためて考えてみると、われわれ大衆は、決して「無制限な自由」を欲しているわけではありません。プラトンは「自由人」と「奴隷」の区別を書き記していましたが、現代の大衆はもちろん奴隷ではなく、かといって完全な自由人でもなく、そのどちらも望まないのです。

もし、われわれ大衆が「無際限な自由」を与えられたとしても、案外それを行使することは望まないのです。例えば今はレンタルDVDが100円程度で借りられ、どんな映画も見放題ですが、結局はそれぞれ「自分の好きな映画」を観るだけで「嫌いな映画」「興味のない映画」を観る自由を行使しないのです

また、現代の日本においては他人に迷惑が掛からず犯罪にならない限り、どんな趣味を楽しむのは自由ですが、しかしわれわれ大衆はそのような「無制限の自由」を最大限に行使することはなく、自らに「自由の制限」を設けて、自分の好きな分野の趣味に没頭し、多分野に趣味を広げようとは望まないのです。

例えば、私の実際の経験から言うと、一般に美術家および美術が好きな人は「写真はよく分からない」と言って興味を示さず、写真家および写真が好きな人は「美術はよく分からない」といって興味を示さないのです。もちろん例外もあり、例えば美術家から写真家に転向した人で、両方に興味を示す場合があります。

しかし、物事のあらゆる分野に興味を示して、それを統合するような仕事をするレオナルド・ダ・ヴィンチのような「万能人」は、極めて希だと言えます。実に、少なくとも現代日本においては、誰もが「万能人」になる自由が与えられています。にもかかわらず大多数の人はそのような「無制限の自由」を行使したがらないのです。

なぜかと言えば、自由を行使することは基本的に苦痛が伴うのです。苦痛を伴わない自由は、真の意味の自由とは言えないのです。例えば「どこに行くのも自由」だとしても「知らない場所」に行くことは基本的に苦痛が伴います。ですから多くの人は「知っている場所」に留まるという不自由の方を好むのです。

われわれ大衆は自由よりも不自由を好む、とは言っても「他人に強制された不自由」には強く反発します。われわれが好まないのは「無制限な自由」であり、だから「自分で自分の自由を制限する」ことが重要なのです。「自分で自分の自由を制限する」とは平たく言えば「好み」です。

われわれは「自分の好きなものが好き」なのです。そして「好き」とは「無制限の自由」の苦痛を免れるための「自らによる自由の制限」であるのです。「私が○○が好き」と言った場合、その○○以外のものに自分が興味を持つ自由を、自らで制限しているのです。

これとは反対に「他人から強制された自由の制限」に、われわれは強い反抗心を抱きます。実は私は子供のころ、親からテレビを見ることを極端に制限され、同時の子供番組もほとんど観ないで育ったのですが、子供時代が過ぎると共にその反動で「オタク」になっていった経緯があるのです。

われわれの「好み」とは、他人に強制されない、われわれが自分自身に課した「不自由」です。それは「無制限の自由」の苦痛から逃れるために、必要なことであるのです。しかし自分の「好み」について、本当に自分の主体的な自由において、そのものが好きになったと言えるのでしょうか?

あらためて考えてみると「自分の好み」というものは、自分が主体的に獲得したと言うよりも、育った環境によっていつのまにか「自分の好み」が決まっていた、と言う方が実感に近いのではないでしょうか?

つまりわれわれは主体的に自分の「好み」にこだわっているようでいて、実際には育った環境によってそのものが「好き」になるよう仕向けられて来たのではないでしょうか?つまり他から「好き」になるよう仕向けられた「好み」が、いつの間にか自分の主体的な「好み」と感じられるような「すり替わり」が生じているのです。

実に、ここに二つの分かれ道があるのです。「自分の好み」は自分の主体性ではなく、環境から与えられたものが、自分の主体であるかのように、すり替わっているだけなのです。この「すり替わり」に対し、これを問題とせず「自分は自分が好きなものが好きだ」と開き直って済ませるのが一つの態度です。

もう一つは、環境から与えられたに過ぎない「自分の好み」を否定して、自分で主体的に真の意味での「自分の好み」を獲得しようとする道ですが、これこそが「無制限の自由」の行使であり、一般にそれは苦痛でしかなく、そんなこともする必要もないのです。ではなぜそんなことが問題になるのか?

「好み」とか「自由」などが問題になるのは先に述べたように「認識範囲の広い人」と「認識範囲の狭い人」の間に生じる不均衡が原因です。つまり「認識範囲の広い人」から見て「認識範囲の狭い人」は不憫に感じられますが、われわれ大衆からすればそれは「大きなお世話」に他ならず、実質的に何の問題も無いのです。

現に、映画『野生の少年』の元になった、実在の「野生の少年」は5年に及ぶイタール博士の献身的な教育にもかかわらず言語を覚えることが出来ず、博士が教育をあきらめた後は世話役のゲラン婦人に引き取られひっそりと暮らし、推定40歳で亡くなったとされていますが、それはそれで彼にとって幸せな人生であり、他人が「不憫だ」と感じることは彼にとって「大きなお世話」以外の何ものでもないのです。