アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

共感性・再現性・創造性

yuiga-k.hatenablog.com


Facebookで知った記事だが、これがスゴイのは「天才は創造性を目指し、秀才は再現性を目指し、凡人は共感性を目指す」と気質によってその目指すところの違いを明らかにした点で、その意味でこの三者に本質的な「優劣」は存在しない。

http://yuiga-k.hatenablog.com/entry/2018/02/23/113000

私自身はかねてからTwitterでも明らかにしてるように「天才論」には否定的であったが、この記事の天才の定義には納得せざるを得ない。そしてこの定義に従うならば、残念ながら私は「天才」ということになってしまう。

なぜなら私は何よりも「創造性」に価値を置いており、たとえ自分自信が十分に創造性を発揮できないとしても、他人の創造性は最大限に評価する。その一方で、多くの人が創造性そのものにあまり評価を見出さないことに、疑問と共にもどかしさを感じていたのである。

それもそのはずで、私が無前提に絶対の価値と信じていた「創造性」は相対的な価値しかないのであり、大多数の人々は「共感性」を、一部のエリートは「再現性」を、それぞれ絶対の評価軸としていたのだった。これは私の体験からも、実につじつまが合う。

私は実は中学時代に「田中くん」という天才的な同級生がいたおかげで、自分が「天才ではない」ことをひしひしと感じており、同時に天才である田中くんに猛烈な嫉妬と劣等感を抱いていたのである。

その感覚は美大入学後も続いており、大学の同級生や先輩や後輩にはさまざまな才能の「天才」がいて、一方で天才的才能に恵まれない自分を卑下していたのだった。

このような自分の「天才コンプレックス」が解消されたのは、美大を卒業して程なくして赤瀬川原平さんの『超芸術トマソン』に出会ってからで、これによって私は「自分の才能で勝負しない」という方法論を知るのである。

そしてこのトマソンを探して街歩きする過程で「フォトモ」の技法が見出される。そしてフォトモ制作を続ける過程で私は図らずも「努力」を通じて自らの能力高める、という経験をすることになった。

実は私はそれまでかなり素朴な「才能論」に囚われていて、つまり天才的才能は持って生まれて人に備わったもので、それは凡人の努力で埋め合わせることができないから「天才」としての価値がある、と認識していたのである。

それは実に「田中くん」がそのような気質であって、彼は特別の教育を受けていないにもかかわらず、中学生の頃から並外れたデッサン力を有して、何も見ないで特撮やアニメのキャラやメカを「写実的」にスラスラと描いて見せていたのである。

田中くんは絵の才能だけでなく、当時から難解な哲学書を読みこなし、独自の思想である「大衆論」を構築し、後に同名の書物を自費出版している。そして彼の主張こそは人間は持って生まれた才能によって「大衆」と「非大衆」に分かれ、その差は努力で埋め合わせできない、と言うものだったのである。

私にとって田中くんの『大衆論』は難解な書物で全て読みこなすことはできなかったが、それだけに「天才ではない」自分に対して「努力で埋め合わせできない」ことの絶望をひしひしと感じていたのだった。

そのような「才能論」を採用した私は必然的に「努力」に価値を見出すことができず、つまり一切の努力をしないままただ自分の才能の無さを嘆いていたのだった。いや実は努力してデッサンを学ばなければ美大に入れないのでそのための努力はしたのだが、結局は才能が足りずに芸大に入れず絶望していた

ところが私は「超芸術トマソン」に出会って、これは個人の才能を超えた概念であるがゆえに「ガス抜き」ができたのである。そしてその余裕のある精神から独自の技法である「フォトモ」が生まれ、その表現を発展させるために図らずも努力するハメになったのである。

私はフォトモによってようやく「創造性」を手に入れることが出来、コンペで賞もいただいて「美術家」を名乗れるようになったが、そうしてふと振り返ると、いつのまにか自分の中の「天才コンプレックス」はすっかり解消され、「才能論」も完全に無効になっていたのだった。

結局、田中くんが主張していた「才能論」は間違いで、確かに彼は並はずれた才能の持ち主には違いなかったが、それは世阿弥が指摘した「時の花」で、努力してそれを伸ばさなければたちまち枯れて無能者になってしまう。

現に田中くんは、頭が良すぎで学校の勉強がバカらしくて真面目に出来ず、中学卒業後は底辺の定時制高校に行き、程なく中退して家で哲学書など読みながらブラブラしていたところ、当時は「引きこもり」という言葉が存在せず、判断に困った親が彼を精神病院に強制入院させてしまった。

実際に田中くんは精神病院で治療を受けるような状況ではなかったが、当時の彼自身の社会適応力はゼロに等しく、そのため精神病院から抜け出すことが出来ず、今以て行方不明になってしまった。

そのような田中くんは、本当の意味で「天才」と言えたのか?田中くん自身は行方知れずになってしまったが、幸い彼が20代後半に親に頼んで自費出版した『大衆論』は一冊手元にある。当時の私にとった難解だったこの本も、その後哲学書を読む「努力」をした現在の自分であれば、なるほどと理解できる

田中くんの著作『大衆論』を「天才=創造性」「秀才=再現性」「凡人=共感性」の観点で評価するとどうなのか?するとこの書物の骨格の一つははナチズムの「人種」と言う基準を「才能」に置き換えており、その意味で新規性がない。そもそも彼の目的は「創造性」にあるのではなかった。

田中くん目的は、社会不適格者の立場から社会への復讐であり、その願望が彼の思想を形成したのであった。それはオルテガが『大衆の反逆』でしてした「反〇〇」の態度に過ぎず普遍性がない。そもそも田中くんの『大衆論』ではオルテガについて一切触れられていないが、彼はこれを読んでいないのか?

田中くんの絵にしても、どれほど才能があろうともそれは「写実画」であり基本的に「再現性」以上の創造性を有していない。くだんの記事によると「凡人からは秀才こそが天才に見える」そうで、中学生の私には彼がそう見えたに過ぎなかった。

つまり冷静に振り返るならば、天才だと思って私が仰ぎ見ていた「田中くん」は天才ではなく、つまり創造性を追求するタイプの人間ではなく、極めて優れた秀才的側面を持ちながらも、一方では社会に適応できない凡人の側面を持っていたのであった。